Virtual image X いつもと違うスタッフ、いつもと違うカメラの形、いつもと違う環境。 真っ白な背景パネルの中で、京子は無邪気に笑い、スキップを踏む。 彼女が両手を広げてくるくるとターンしてみせれば、薄いクリームカラーのチュニックがふわりと踊る。 まるでそれを追いかける人物がいるかのように、京子はカメラは自分の姿を追うカメラを振り返りながら、パネルの壁へ壁へと駆けて行く。 彼女の足元は、壁背景と同じく真っ白な床が緩い傾斜をつけて設置されていた。 これで彼女がカメラから離れて壁へと走って行くと、モニター越しに見る彼女は数メートルの距離を駆けて行ったような錯覚を作り出す事が出来る。 壁際まで走り切ると、京子はくるり、軽いステップでカメラへと向き直る。 少しだけ内股になって立ち、両手をスピーカーのように口元に当てて、 「早くしないと、置いてっちゃうよッ」 弾む声が響く。 彼女はくるりとまたターンして、カメラの中心から右側へと移動する。 モニターには彼女の左側に空間が空いた。 京子は両手を背中側にして、口角を上げて少し首を傾げてみせる。 それから、右手を上げてひらひらと手を振った。 ─────其処でカットの声がかかる。 「オッケイ!! いや〜、実に見事だったよ」 「ありがとうございます」 拍手をしながら京子を褒めるのは、今回の現場の監督。 京子は素直にぺこりと頭を下げた。 それから、監督と助監督が並んでいるカメラモニターの傍へと駆け寄る。 「あの、今の、確認させて頂きたいんですけど…」 「うん?」 「ちゃんと出来たか見たくて…」 「十分、今ので採用するからさ」 「でも……」 「大丈夫、大丈夫。可愛かったよ」 ぽんぽんと監督の手が京子の肩を叩く。 京子は困ったように眉尻を下げて、ことりと首を傾げる。 その表情は不安げな色をしており、彼女が今の演技に自身がない事を如実に表していた。 助監督が大丈夫だよと何度言っても、京子は俯いて不安そうに眉尻を下げている。 大丈夫と言って貰えるのなら信じたいけれど、初めての事だから何もかもが手探りで不安なのだ。 心配そうに唇を噛む彼女は、真面目で素直で、少しばかり気が弱い性格だから。 眦は猫のように尖り勝ちで、少し強気な印象を持たせる京子だが、実際にはこのギャップ。 噂には聞いていた監督・助監督であるが、実際にその姿を見て、儚さを帯びる少女の瞳に見初められ。 「まぁ、初めてだと言う事だしな……おい、ビデオ再生しろ」 「はい、監督」 「あの……本当にすみません」 「いやいや、いいよ」 監督の指示でテープを巻き戻す助監督に、京子が謝った。 助監督は椅子を使わずにしゃがんだ格好になっており、それを覗き込むように京子が謝罪をしたものだから、うっかり助監督の鼻の下が伸びてしまう。 悲しい男の性、彼の目は大きく育った彼女の胸の谷間に気を取られてしまった。 が、幸いにも直ぐに現実に返り、助監督は頭まで戻したテープを再生させた。 スタッフに促されたパイプ椅子に座らせて貰って、京子はモニターを食い入るように見ている。 今回の京子の仕事は、大手スーパーマーケットの広告CMの撮影。 それも雑誌に載るような静止画のものではなく、テレビに流れる台詞・動作有りの演技だった。 まだ業界にデビューしてようやく一年を越した京子である。 無論、テレビCMの仕事など初めてで、演技などもした事がなかった。 更には、雑誌での撮影とは勝手が違うとあって、カメラも何処をどう見れば良いのか判らず、最初は戸惑った。 スタッフもいつもとは違うメンバーだし、雑誌撮影で何度も顔を合わせるような知り合いもいない。 唯一の頼りと言ったら、常に現場に一緒に来てくれる、彼女のマネージャー以外にいなかった。 デビューから破竹の勢いでスター街道を走って来たと言われる京子であるが、それも彼女自身の努力の賜物。 クライアントからの要求に応える為に努力を怠らず、独自の感性で依頼に応える事が出来たからこそ。 要求に合わせてスタイリストと相談しながら衣装を選び、メイクも細かく注文し、カメラスタッフ、照明スタッフとも出来る限りコミュニケーションを取って、監督のシーン説明の言葉は一所懸命に聞いていた。 一年と少しと言う短い芸暦の中で、彼女は全身全霊を注いで仕事に当たる。 正にプロだと、逢った人々は皆口を揃えて彼女を評価した。 それを言わない人間の言う事と言ったら、大抵は僻み染みた根も葉もない噂程度である。 今回も、彼女は全身全霊を傾けて、監督の要求に応えた演技をしてみせた。 その演技は、演技が初めてであるとは思えない程ナチュラルだ。 「なんか転びそう……」 「其処が良い。大丈夫だよ」 自分の演技を確認してポツリと呟いた京子に、助監督が首を横に振って褒める。 それでも、京子は聊か納得の行かない表情をしていた。 そんな彼女を宥めたのは、彼女のマネージャー────八剣右近だった。 「京ちゃん、その辺にしておこうね」 「……でも」 「良いって言ってくれてるんだ。素直に受け取って罰は当たらない」 まだ納得が行かない風の京子の頭を撫で、八剣は彼女の肩を押した。 「アフレコがあるんだったね」 「うん」 撮影の仕事が終わった次は、ナレーションの録音。 このまま撮影スタジオを出ると、同じビル内に設置されている録音用の部屋へと向かう。 其処で、今回のCMに当てる企業アピールの台詞を録音する。 その前にラフな格好に着替える為に、京子と八剣は、一旦楽屋へと足を向けた。 京子が今来ているのは撮影用の衣装で、私服ではない。 夏から放送予定のCMなので、薄手の夏服にショートパンツで、すらりと伸びた健康的な脚が惜しげもなく晒されている。 しかし実際には季節は春の半ばを過ぎた頃で、室内とは言え、場所によっては少々寒さを感じる事もあった。 まだビル内の暖房は仕様されているが、冬ほど温度は上げられていないので、この格好では少し厳しいのである。 京子のミュールの足音と、八剣の革靴の足音。 それ以外に廊下に響く音は殆どなく、ビル内は比較的静かな方だった。 「どうだったかな? 出来栄えの方は」 「んー……まだよく判らないかな。なんか凄くわざとらしい感じがしたし…」 「謙虚だねェ」 言いながら、いい子いい子、とばかりに八剣は京子の頭を撫でる。 京子はそれを甘受してはいるものの、不満げに頬を膨らませていた。 「監督が良いと言ったんだから、良いんだよ。俺から見ても自然だった。問題ないさ」 「……そうかなあ……だったら良いけど」 「ああいうのは、繰り返し撮影している間に、あれこれしようとする不自然さが露骨になってくる場合がある。初めてなら初めてらしく、不自然さも味になる。色々考えるのは、次からで良いと思うよ」 「うーん……」 エレベーターがフロアに上がってくるのを待ちながら、京子は顎に手を当てて考え込んでいる。 京子が頼めば、何度かやり直しもさせて貰えたかも知れない。 しかし、結局その撮り溜めたものの中から、どれが良かったのか最終判断をするのは監督だ。 その結果、京子が良いと思ったものと、監督が良いと思ったものと相違する事もあるだろう。 だが京子の真摯な姿勢は、十分監督やスタッフに伝わった。 それで十分だと、八剣は思っている。 エレベーターのドアが開き、揃って箱に乗る。 ビルの角端に作られたエレベーターの壁は、ガラス張りとなっており、ビルの周囲が一望出来る。 京子はそのガラスに嵌められた手摺に寄りかかった。 エレベーターが降下を始める。 「随分心配してるねェ」 「だって……初めてだし」 「だからこそ、だよ。肩に力が入りすぎるのは良くない」 「……難しいよ」 緊張のし過ぎは良くない。 しかし、リラックスし過ぎているのもどうだろう。 丁度良い、適度な緊張感─────それこそが一番難しい所だ。 程なくエレベーターが目的階で停止すると、待っていた人達と入れ替わりに降りる。 京子は足早にその場を離れたのだが、八剣は違った。 追って来る筈の八剣の気配がない事に気付いて、京子は立ち止まって振り返る。 すると八剣は、扉の閉まったエレベーター前で見知らぬ男と立ち話をしていた。 目尻に皺の寄った小柄な男で、首には社員用のネームプレートがかけられており、名前と役職が記されている。 京子は撮影スタジオのフロアよりも人通りが多いこの場所で、邪魔にならないよう、壁に沿って彼を待った。 男は一通り喋り倒した後で、八剣の肩を叩いて豪快に笑う。 じゃあ頼むよ、と言ってから、彼は去っていった。 軽い会釈をして見送ってから京子の下へと追い付いた八剣は、いささかうんざりとした表情を滲ませている。 「今の、誰?」 廊下の角を曲がって見えなくなった男を指して、京子が問う。 八剣は一つ溜息を吐いた後で、 「プロデューサーだよ。うちの事務所のタレントが出てる、バラエティ番組の」 「…私も挨拶した方が良かった?」 「……さて。まぁ、大丈夫だろう。単に自分の番組の自慢と宣伝のようなものだったから」 京ちゃんには関係ないよ、と言って、八剣は歩き出した。 京子も並んで、また足を動かす。 このフロアにあるのは、楽屋と打ち合わせ用に使われる会議室。 それを通り過ぎた突き当たりに、食堂がある。 “京子 CM撮影”と言う紙が貼られたドアの部屋が、京子に宛がわれた部屋。 其処をカードキーで開錠、八剣がドアを開けて京子の入室を促した。 足早に京子が部屋に入り、ドアを閉めてまた鍵をかけて──────京子にとっては、ようやくの束の間の休息。 「あー………面倒臭かった……」 長い溜息を吐いて、がっくりと肩を落として零れた言葉。 ふらふらとした足取りで化粧台に向かうと、其処にあった椅子を前後ひっくり変えて、どかりと腰を下ろす。 「演技してる上に演技しろなんざ、ややこしいったらねェっつーの」 「ごもっとも。はい、これ」 京子の言葉に苦笑して、八剣が差し出したのは、サンドイッチ。 時刻は丁度昼を迎える頃だった。 京子が気のない返事をしてサンドイッチを受け取る。 カロリーの低いベジタブル系のサンドイッチは、正直に言えば、京子の腹には全く物足りない。 しかし、仕事の合間に邪魔にならない程度に食べるには、この程度が限界だ。 更には京子の場合、この楽屋に入って一転した本当の性格と、メディアに露出している彼女とでは正反対の差がある。 その様は、彼女の二面性───と言うのは少々語弊があるが───を毎日目の前にしている八剣でさえ、実は全くの別人なのではないかと思わせる程だ。 これを迂闊に他者に見られてしまう事がないように、彼女は極力、自分自身の性格と生活を切り離して振舞っている。 京子はサンドイッチを粗食しながら、同じように昼食であるコンビニの握り飯を食べている八剣を見て、 「実際のトコどうなんだよ」 「何が?」 「さっきの撮影」 訊ねて、京子は少なくなったサンドイッチをぐいぐいと口の中に詰め込んだ。 その姿こそファンが見たら幻滅するのではなかろうか、と思う程、強引に。 それを飲み込みきると、椅子から腰を上げて、ハンガーにかけていた自分の服を手に取る。 彼女が着替えようとしているのは明らかだ。 八剣は京子に背を向けた。 「良かったと思うよ」 「すげーわざとらしかったぞ、アレ」 「京ちゃんにしてみればね。でも世間が求める君のイメージを考えれば、あれ位で丁度良い。それに、さっきも言っただろう? 監督がOKを出したんだ。甘えていい」 「つったってよォ……あれが全国ネットで流れるんだろ? 今すぐあのテープ粉砕してェ」 苛々とした口調の京子に、八剣は苦笑する。 「いいじゃない。可愛かったよ」 「ほざけ、軟派野郎が」 罵倒と共に、すこん、と何かが八剣の頭に当たった。 足元に落ちたそれを拾えば、苺の香りのするリップクリームである。 その時、ロックのかかったドアをノックする音が聞こえた。 京子が着替える手を早める。 クリームカラーのチュニックから、襟周りにレースを取り入れたブラウスに。 ショートパンツをスキニージーンズに履き替え、撮影用のミュールから自分のサンダルへと履き替えた。 着替え終わると、化粧台の椅子に投げていた衣装を広い、畳み始める。 其処で八剣がドアの施錠を外し、ドアを開けた。 すると其処には誰もおらず────気配を感じて視線を落とすと、八剣の目に、小さな子供が飛び込んで来る。 「おや」 「あの、あの……」 まだ十歳にもならないと見られる、お団子頭に髪を纏めた、小さな子供。 しかし、八剣はその子供に見覚えがあった。 「本郷桃香ちゃん、かな」 「はいッ」 記憶にあった顔と名前を照合して呼んでみると、子供は元気よく返事をした。 本郷桃香─────最近有名な子役だと、八剣は記憶している。 俳優の父を持っており、その関係から三歳頃から芸能界デビューを果たし、今期のドラマで一気に人気を博した。 この少女は確か、現在放送中の戦隊ヒーローものでレギュラー出演している。 八剣と京子の事務所からも若手俳優が出演しており、その人物は桃香の事を素直な良い子だと褒めていた。 今は次クールから放送予定の昼のファミリードラマの撮影真っ最中だと言う。 桃香は自分の名を知ってくれていた事が嬉しかったのだろう。 もじもじとしていた様子から一転して、明るい表情になる。 「あの、その、急にすみません」 「いや、構わないよ」 ぺこりと深々とお詫びをして、桃香は顔を上げるときらきらとた表情で、 「京子さん、いらっしゃいますか? 私、えっと……ファンなんです!」 ─────通常、此処で安易に会わせるのは、余り良い事とは言い切れない。 あまりにファンと距離が近付いてしまう事は、時にスキャンダル等の種にもなるからだ。 特に京子の場合は、彼女の二面性があまりにも差がありすぎて、下手をすればファンを幻滅させる切欠になり兼ねない。 勿論彼女はそんな事のないように振舞うだろうが、ぽろりと本音(本性)が顔を出す事もあったりするのだ。 極力押えてはいるが、彼女自身、元来我慢の聞く性格ではない。 だから京子は私生活からしても、出来る限り一般のファンと逢わないようにしているのだ。 しかし、此処にいるのは夢に夢見る少女である。 物心付く前から芸能界にいるので、この業界については、恐らく京子よりも身に染みているだろう。 その上でこの訪問は、桃香にとっても一大決心であると言って良いだろう。 「京ちゃん」 「何?」 もうスイッチが切り替わっている。 相変わらず、八剣は彼女の変身振りには驚かされる。 「可愛いお客さんが来ているよ」 「────……桃香ちゃん?」 八剣の陰から覘いた子供に、京子が小首を傾げて確認する。 京子に声をかけられた桃香は、丸い頬を紅くして、また深々とお辞儀した。 「はじめまして、本郷桃香です!」 「はじめまして、京子です」 「お、お邪魔しても、」 「うん、どうぞ」 緊張と興奮で一杯一杯になっている少女に、京子は柔らかく微笑んで言った。 桃香はぱっと明るい顔になり、お邪魔しますと一言断って、嬉しそうに楽屋へと入ってきた。 京子は座っていた化粧台から腰を上げると、きょろきょろと部屋を見渡している桃香の前にしゃがんだ。 「ファンって言ってたね。ありがとう。私も桃香ちゃんの事、テレビで見た事あるよ」 「本当ですか! 嬉しいですッ」 「桃香ちゃん、凄い上手だね。羨ましいよ」 「そんな事ないです! 京子さん、きれいで格好良くて、私、憧れてるんです!」 これでもかと言うほどに褒めちぎる桃香の言葉に、京子の顔が紅くなる。 これは演技ではない。 彼女は本当に、褒められる事に弱くて、直ぐに紅くなるのだ。 ……八剣相手に限っては、そんな素振りの欠片もないが。 むず痒そうに紅くなった頬を掻く京子に、桃香は彼女の顔をじっと見詰めて、逸らそうとしない。 憧れの人に逢えた、話が出来た、自分ヲ知ってくれている────もう彼女は喜びで胸が一杯のようだった。 「ね、桃香ちゃんは小さい頃からずっと芸能界にいるんだよね」 「はい」 「じゃあ私より先輩だね」 微笑んで言った京子に、桃香はきょとんとし、それから真っ赤になった。 「そんなことないですよ」 「ううん、先輩だよ。私が芸能界に入ったのは、一年前だもん。桃香ちゃんの方が長いんだよ」 「でも京子さんの方がお姉さんです」 「歳はね。でも、先にいたんだから桃香ちゃんが先輩だよ。だから、今度ドラマやCMで逢ったら色々教えてね、先輩」 ぽんぽんぽん、と湯気が出そうなほど、桃香の顔は紅くなっている。 桃香に褒められた時の京子なんて目じゃない程に。 京子は、そんな小さな先輩の頭を撫でた。 「今、撮影中?」 「はい。でもお昼ご飯の休憩になったんで、ちょっと探検してました」 「結構おてんばなんだね」 「えへへ……」 「皆に心配かけちゃいけないから、そろそろ戻った方が良いよ」 「はい!」 京子に会えた事で、子供らしい好奇心は、一先ず満足したらしい。 京子の言葉に拗ねる事もなく、桃香は素直な返事。 しかし、子供一人を帰すことは、少々無用心だ。 テレビ局内には色々な人間が往来しており、出入り口に警備員はいるが、それでも時折事件が起こったりする。 テレビスタッフに紛れて───或いはテレビスタッフ自身が───邪な感情を持つ人間が入り込まないとも限らない。 それを思うと、桃香が一人で“探検”していたのも、本当なら、余り感心できない話だ。 とは言っても、それをこの場で言及する必要はないだろう、と八剣は思った。 彼女は憧れのモデル・京子に会えて嬉しそうだし、京子も決して悪い気はしていない。 此処で説教話は得策ではない。 取り敢えず送って行こうか。 八剣がそう言い掛けた時、部屋の外から桃香を呼ぶ声が聞こえた。 「良いタイミングだ。お迎えが来たようだよ」 「―――マネージャーさんです! えっと、お邪魔しました! ありがとうございました!」 「うん、来てくれてありがとう。またね、桃香ちゃん」 「はいッ」 お邪魔しました、と深々頭を下げて、桃香は楽屋を後にした。 京子は八剣が開けたドアが再び閉まるまで、小さな来客へと手を振った。 ……そして閉まった直後、表情は一変し、疲れを隠さない顔で化粧台の椅子へ座る。 「勘弁してくれ……」 京子は、子供が得意ではないらしい。 どちらかと言うと苦手な部類に入るようで、はしゃぐ子供の傍に近付く事そのものを避ける傾向がある。 しかし世間一般の京子のイメージは、凛とした顔つきとは少々ギャップのある、大人しめな性格の少女。 幼い頃に時々やんちゃを見せる事があった位の、ごく普通の女の子。 甘いものが好き(実際は嫌い)、女友達が多い(いないと言っている)、小物集めが趣味(邪魔臭いと言う)……等々。 実際の彼女の性格とはかけ離れた人物像を作り出している。 これを守る為には、下手に邪険な扱いなど出来る訳もなく、女性モデル仲間と一緒にいる時などは専ら沈黙を守り、人から話しかけられる時は主として受身を取る形になる。 今回は相手が子供である事、緊張している事もあって自分から声をかけていたが、それもかなり神経を使っていただろう。 それと────桃香のあまりに真っ直ぐな憧れの視線に、むず痒さと一緒に後味の悪さを感じたのかも知れない。 京子は自分の鞄からペットボトルを取り出す。 清涼飲料水であるそれは、京子が雑誌で広告モデルをしている商品だ。 ちなみに京子曰く、味はお奨めしない、との事である。 「ったく、ガキは嫌いなんだよ」 「まぁ、そう言わず。大事なファンだよ」 「お前ェに言われなくても知ってらァ」 「それは失敬」 一口水を含んで飲み干して、京子はペットボトルを元に戻す。 濡れた口元を指先で拭う京子。 その仕草は何処か色香を含んでいて、やはり売り出したイメージと彼女の本質は真逆なのだと八剣は思う。 じっと見詰める八剣に気付いて、京子は訝しげに眉根を顰める。 「なんだよ?」 「……いいや」 既に何度も口にした、詫びの言葉が出そうになって、八剣はそれを飲み込んだ。 その発言は、結局彼女に気を遣わせてしまうものにしかならないのだから。 いつもの笑みを浮かべた八剣に、京子は益々眉根を寄せる。 しかし言及した所で受け流されるだけなのも想像に難くなく、ならばこれ以上勘繰るのは労力の無駄に他ならない。 そう判断して、京子はがしがしと頭を掻いたのを最後に、八剣の顔を見るのを止めた。 此処で延々と見詰め合っているより、さっさと今日の仕事を終わらせる方が良い。 綺麗に畳んだ衣装をテーブルに置いて、鞄を持って京子は椅子から腰を上げた。 その後姿を見て、八剣は思う。 彼女の演技が上手いのは当然だ。 今日のCM撮影が、初めての動きのある演技にも関わらず、一発で上手く行ったのも八剣には何も不思議ではない。 何故なら、彼女は普段から演じることを強要されているからだ。 元来の性格とかけ離れた人格を、どうやって、どんな気持ちで演じているのか、八剣には判らない。 女の子らしいと言える仕草や表情も、どうすればあんなにも完璧に作り出す事が出来るのか。 勿論、彼女の努力があるのは確かだ。 しかしそれ以上に、八剣の前でだけ見せる癖や仕草まで、彼女は完全に隠している。 立ち居振る舞い全て、まるで全く別の人間が憑依しているようにも思えた。 部屋を出て行く彼女の背中に手を伸ばす。 後ろ髪に触れると、その毛先は少々傷み勝ちだった。 「何?」 振り返ってきょとんと首を傾げる彼女は、もうスイッチが切り替わっている。 「……なんでもないよ」 「……ふぅん?」 変な奴。 視線を逸らして部屋を出て行く彼女は、言外にそう滲ませていた。 それに八剣が気付けるのは、本来の彼女を知っているからだろう。 その証拠のように、彼女の瞳の奥に明滅する“彼女自身”を知る人はいない。 一日の殆どを、“演じて”過ごす京子。 それとは全く正反対の、自分の前でだけ顔を見せる、我侭な彼女が愛おしい。 だからこそ、八剣は彼女を守りたいと思うのだ。 次 仕事真っ最中の二人です。 多分、普通は大部屋とかになると思うんですが、八剣が色々根回しして個室の楽屋になってます(笑)。 所属事務所は然程大きくないですが、彼個人は相当使える人間ですよ。 |