四月一日




いつものように八剣の部屋を訪れた来客。

しかし、いつものようにしていたと思ったら、ふと黙り込んで、じっと視線を落としている。
不思議と言うよりも奇妙な雰囲気を漂わせる表情に、八剣はどうかしたのかと聞くタイミングを探していた。



誰よりも強い剣技の腕を持つこの少女は、その強さ故か生来の性格か、かなり意地っ張りだ。
弱味を他人に見せる事を嫌い、最後の最後、瀬戸際まで一人で突っ撥ねようとする。
泣きたい時にも、泣く事そのものを厭うように、不機嫌な顔で覆い隠してしまう程だった。

それでも、八剣に対しては少しずつそんな仮面を外してくれるようになって来た。
嫌な事があったら直ぐに、と言うほどではないけれど、小さなサインを見せてくれるようになった。


―――――今正に、そのサインが現れているのである。






「気分でも悪いの? 京ちゃん」






京子が今日何度目か、ぽつりと視線を落としたのを期に、八剣は問い掛けた。
途端、京子の肩がビクッと跳ねて、八剣は僅かに眉根を寄せる。

向かい合って肩を引き寄せると、抵抗はなく、少女はすっぽりと八剣の腕の中に納まった。
少し痛んでいる後ろ髪を指で梳く。






「………八剣」






子供を落ち着かせるように、宥めるように触れる八剣に。
京子は意を決したかのように、重々しげに口を開く。


顔を向け合って、瞳を合わせれば、京子の瞳は微かではあるが不安げに揺れていた。
学校で何か嫌なことでもあったのかと、八剣は丸みを残す頬に手を添えて思う。
だったら確かに言い難いことかも知れない、と。

けれども、彼女がどんなに意地っ張りでも、吐き出さなければ気持ちの整理がつかない事だってあるだろう。
その時、彼女が頼ってくれるのが自分である事が、八剣の小さな喜びだった。



京子の左手が八剣の羽織りを握って、右手は彼女自身の腹の上へ。
交わっていた視線が逸らされて、京子の横顔に微かに朱色が昇り、








「………せーり、来てねェ…………」








ぴしり。



まさかの爆弾発言に、八剣は完全にフリーズした。
表情は浮かべた笑みがそのままだったが、それも引っ込みそこなっただけのものである。






「…ババァのとこ行ってねェから、その…なんだ……決まった訳じゃねーけど、……多分……」






途切れ途切れに、小さな声で紡ぎ続ける京子。
その傍ら、羽織を握る手が微かに震え、八剣にそれは伝わっていた。


見る印象よりも細身の体が、不安の所為だろうか、いつもよりもずっと小さく見える。
事が事であるだけに、彼女にとっては一大事である。

自分一人の問題ではなくなっているのだから、尚更。



泣くのを耐えるように、京子はぎゅうと口を噤んだ。
長い前髪が瞳を隠した所為で、八剣から彼女の表情をはっきりと知る事は出来ない。
けれども、真一文字に噛まれる唇に、彼女がどれだけ不安であるかは見て取れた。

いつまでも停止している場合ではないし、何より、彼女がこんなに不安になったのは自分の責任だ。
彼女にそんな出来事が起こるような事をしたのは、自分以外にいないのだから。


そっと抱き寄せれば、京子は八剣の胸に顔を埋める。






「……いつから来ていないか判る?」
「…多分……先々月辺り…」
「………そう」






彼女がその事に気付いたのは、いつだったのだろう。
それから今日まで、ずっと一人で不安を抱えていたのだろうか。
友人達の前ではいつもと同じ顔で笑いながら。

そう言えば――――此処暫く彼女の顔を見ていなかったのも、これが原因なのかも知れない。
いつもの気紛れだろうと思っていたのが、こんな所で仇になるとは。






「病院に行く時は一緒に行こうか。一人じゃやっぱり怖いだろう?」
「………お前、……」
「ちゃんと責任は取らないとね」






顔を上げた京子の頬を両手で包んで。
双眸を細めて、八剣は優しい声で京子に告げた。

京子の顔が紅くなって、隠すように俯いてしまう。


話を聞いた八剣が何を言い出すのか、それも彼女の不安の一つだったに違いない。
誰も彼もが喜んでくれる出来事ではないと、彼女は知っていて――――そして京子も、この不安が全て解消されるまでは、決して諸手で喜ぶ事は出来なかったのだろう。



差し当たって――――行く病院は、京子が懇意にしている桜ヶ丘中央病院で良いとして。
学校生活も暫くは普通に遅れるだろうけれど、今までのような不規則な生活は自粛させた方が良い。
喧嘩なんて以ての外だ、何が起こるか判ったものじゃない。

入院しなければならない程になる迄は、やはり『女優』で過ごした方が良いだろうか。
あそこならば京子も安心するだろうし、従業員達も京子に気を配ってくれる。
しかし、やはり八剣も傍にいたいと思うから、それならこの部屋に来てくれた方がずっと自分が見ている事が出来る。
此処は京子と要相談か。


他にも問題は山積みだ。
けれども、八剣は一向に構わなかった。
愛しい少女の不安が少しでも消えてくれるのなら、それが八剣には何よりも嬉しいことだ。





――――――と、思っていたのだけれど。






彼女の頬に添えた手から、小さな震えが伝わって来る。
泣いてしまったかと思いながら見下ろして――――――ふと、違和感に気付く。

口元を押えて震える少女の雰囲気が、先ほどまでの儚げなものと一変している。






「………京ちゃん」
「………ッ…ッ……」






呼んでみれば返事はなく、京子は添えられる八剣の手を払うと、ふいっと背を向けた。
その背はやはり震えているが、それはしゃくりあげると言うよりも、“笑っている”と言う、一連の出来事とは全く程遠いもので。

…………とどのつまり。








「嘘だね? 京ちゃん」
「ぶはッ」








答えを導き出して声に出せば、それを合図にしたように、我慢の限界と言わんばかりに噴出す声。

そのまま京子は、部屋に落ちていた沈んだ空気を一変させて、大きな声で笑い出す。






「こいつマジになってやがる〜ッ」
「……京ちゃん、今のは性質が悪いよ」
「お前が後ろ暗ェからだろ。あー面白かった」






からからと笑う京子は、先程までの不安に彩られた表情など何処吹く風。
悪戯が成功した子供そのままの顔で楽しそうに笑っている。

八剣はとんだ嘘に呆れつつも、見慣れた京子の笑顔に少し安堵する。
やはり彼女はこうして元気に笑ってくれるのが良い、自分が振り回されるぐらいは一向に構わないし。



―――――けれども、今のは少々度が過ぎる。






「京ちゃん」
「あ? ――――うぉッ」






座布団の上に座っていた京子を、八剣は軽々と抱え上げる。
浮遊感に驚いて縋る少女の手は、先ほどと違って震えてはいない。

ベッドの上に京子を下ろし、八剣はその上に馬乗りになった。






「ちょッ、おい!?」
「嘘であんな事言うぐらいなら、本当にしようか」
「はぁ!? 待てコラ、なんでそんな事に――――って、ンなトコ触るなぁああッッ!」















―――――――数時間後。






「京ちゃんの言った事が嘘でも本当でも、俺は責任取るから安心していいよ」
「………判った判った」






頬も体も火照らせながら、京子はぶっきらぼうに返事をするのだった。











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連載設定ではエイプリルフールなんて無理なので、全くの別設定で。
付き合ってる二人です。ヤる事全部ヤってます(爆)。

うちの京ちゃんって基本的には一応Sなので、こういう悪戯で相手を困らせるのは楽しいんですねー。
ただし、その後にきっちり報復されますけど。だって相手が京ちゃん以上にSだから。


八剣の言ってくれた言葉には、ちゃんと嬉しいと思ってます。
でもまさか信じられるとは思っていなかったのと、ツンデレなので素直に喜べないのです。
あと何よりも照れ臭くて恥ずかしいのですね。