オリヒメ



京子はまるで興味がないのだが、粋を好むこの男は違うらしい。


7月7日はうちに来いとやけに念を押すから何かと思っていたら、成る程、七夕である。
一年にたった一度しか逢えない恋人達の逢瀬の日を、八剣は自身の恋人と共に過ごしたいと言うのだ。

別に断る理由もなく、当日になって特に用事が出来た訳でもなかったので、京子は要望通りに拳武館の寮へ赴いた。




――――――が。







(来なきゃ良かった………!!!)







わざわざ用意したと言う着物を嬉しそうに見せる八剣に、京子は心底後悔した。
この男に言われるまま、彼のテリトリーへ入ってしまった事を。


恐らく神話の織姫の衣装として描かれるスタンダードな形をモチーフにしたのだろう。
紅を基調にして、裾部分にかけて藍色を使い、金色の線を使って笹と流水(恐らく天の川から転身したイメージだ)を描いている。
帯は薄い桃色――撫子色と言うらしい――で柄無しになっているのだが、如何せん長く、巻き切らずに殆どを下ろし流す形になるだろう。
その上に、羽衣の形となる柔らかなストール(これもやはり長すぎる)を肩にかけて完成だ。

そこそこ良い値がするんじゃないかと思われる生地に、京子は呆れて物が言えない。
尚且つ、嬉しそうに見せる男は、どう足掻いてもこれを自分に着せるつもりであると判り、また逃げられないのも判るから。






「……バカだろ、お前」






せめてそれだけは言って置こうと、頭痛のする米神を押さえながら京子は呟いた。

しかし詰られた男は、そんな言葉は何処吹く風。






「俺も紅だから被るのはどうかなァと思ったんだけどね。お揃いもたまには良いだろう?」
「………寒い。止めろ。つか、着たくねェんですけど」
「着付けしてあげるからおいで」
「だから着たくねェんですけどッ」






距離の置いた喋り方で拒否を示しても、やはり目の前の男はお構いなし。
手を引いて京子を室内へと招くと、早速制服の裾に手を伸ばすものだから、京子は慌ててその手を払った。






「いいッ! いらねえ!」
「そう言わずに」
「だッ、だからッ!」






じたばたと暴れて、京子はどうにか手を掴む八剣の手を払う。






「着る! 着るからちょっと離れろ!」
「ああ、ありがとう。でも京ちゃん、着物なんて着方が判らないだろう?」
「判るッ! 判るから、自分で着るからあっち向いてろッ!」






京子の周りには、和服を着る習慣を持った人物が多い。
『女優』のサユリであったり、葵も家では着物だし、目の前にいる八剣も勿論そうだ。
過去を振り返れば師である男もいつも着物で、もっと遡ると父親もそうだった。

また、京一自身が剣道部に所属している事もあって、これは胴着であるが決して不慣れな訳ではないのだ。
子供の頃は母が父に合わせて着物を着る事もあり、着付けを手伝った経験がある。


……第一。
何故、制服を脱ぐ段階から彼に脱がされなければならないのか。

わざとなのか天然のつもりでやっているのか知らないが、何れにしても京子は甘受出来ない。
今更裸を見られて恥ずかしがる事があるのかと思わないでもないのだが、それとこれとは別だ。
どうにもこの男の前で裸身になるのは、情事の際を含めても羞恥心が涌くのである。



制服を脱ぎ、少し考えた後、ブラジャーも外した。
洋装と違って胸の膨らみを潰さなければならない和装では、ブラジャーでは返って形が崩れてしまい、綺麗に見えない。
京子は見栄えや形を気にしたつもりはなかったが、息苦しくなるのは確かだ。

一度、背中の男を見遣る。
八剣は窓辺に立って外界を眺めており、此方を見ている様子はなかった。


母の着付けを手伝っていた時の手順を思い出しながら、京子は着物の袖を通した。
随分と裾部分が長いような気がしたが、これも織姫をモチーフにしたデザインだからだろう。
平安時代の姫のように、裾を引き摺るスタイルになっている。

帯には手間取ったが、なんとか形にはなった―――多少不恰好に思えなくもないが。
太鼓結びをしてみたが、やはり思ったとおり余り部分が長くなり、床に一メートル程着いて流れる。
ストールもまた同様だ。






「……終わったぞ」






時間にして、一時間強。
待ち惚けされた男は、それを気にした様子もなく振り返る。






「やっぱり綺麗だね」
「……そりゃどーも」






嬉しくはないが、一応言っておく。
そんな京子に歩み寄り、八剣は京子の髪に触れて唇を寄せた。






「京ちゃんが着付けが出来るとはねェ。それも一人で」
「……色々間違ってる気もするけどな」
「形になっているからいいんじゃない? しかし、ちょっと残念だったな」






眉尻を下げて言われた言葉に、京子は眉根を寄せて八剣を見上げた。






「俺が着付けてあげたかったのに。ほら。着せて脱がせるって男のロマンだろう」
「……自分で出来て良かったと思うぜ、心の底から」






侮蔑の篭った眼差しを向けながら、京子は呆れる。

まさかこの男からそんな俗世地味た言葉が聞けるとは思わなかった。
いや、それよりも、この後結局脱がされるのは決定事項である事かと、そっちが頭に残る。



―――――……別に、嫌ではないけれど。



そう思った途端に、顔が熱くなる。
血が上ってきたのだ、沸騰した血が。

目敏く見付けられて、八剣が京子の顔を覗き込む。
楽しそうに。






「その前に先ず、年に一度と言う恋人達の逢瀬に便乗するとしようか」






部屋の電気が消えて、窓から空の見える位置へと誘導されて。
よりによってそれが丁度ベッドだって言うのはどうなんだと思いつつ。







抱かれた腰から伝わる熱に、正直言って京子は七夕所ではなかったとは、傍らの男に一生言わないことにした。








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うちの京ちゃんって事前に根回しされると弱いですね。
逃げ場がないと悟って腹括るのも早いですが。

あと、うちの八剣って京ちゃんに対してかなり貢癖があるような気がします。まぁいいか、本人楽しそうだから。