UNKNOWN 01 「ラーメン食べて帰る人ッ、手上げてー!」 「はーい!!」 今日も今日とて元気な遠野の声に、負け時と大きな声で返事をしたのは小蒔のみ。 しかしその周りでは、京子、葵、醍醐が手を上げており、龍麻も同じく賛同に手を上げていた。 これが最近はすっかり見慣れた光景になっている。 以前は龍麻が此処にはおらず、京子はサボり勝ちで殆ど教室にいなかった。 放課後もバンドの練習などでふらりといなくなる事が多く、気紛れな猫のように参加したりしなかったり、と言う具合。 それがどういう理由か龍麻には判らないが、京子は龍麻を気に入ったようで、学校をサボる事も少なくなった。 週の半分の放課後は相変わらずバンドに当てているが、それ以外はほぼクラスメイトの寄り道に付き合っている。 いつも通りに全員で馴染みのラーメン屋に行く事が決まると、小蒔と遠野の足は浮つく。 踊り出しそうに話しながら歩く二人に、葵は階段などはヒヤヒヤして堪らなかったが、彼女も楽しみなのは事実だ。 その後ろを着いていくように歩くのが、龍麻、京子、醍醐の三人だ。 京子は浮かれる二人を呆れた目で見ていたが、彼女にとっても見慣れている光景なのだろう。 特に何を言うでもなく、よくあれだけはしゃげるよな、ガキくせェ、と呟く程度である。 下駄箱を出て真っ直ぐにグラウンドを横切る。 「でさァ、その時にマリア先生のヘッドロックが炸裂ッ」 「凄いわよねー、マリア先生。もうあのバカ、顔真っ青にしちゃってて」 「その後はアレ、巴投げって言うの? もう格好良かった!」 真神学園の教師は変わり者が多いが、その変わり者の筆頭は、生物教師の犬神だ。 そして英語教師のマリア・アルカードと続く。 マリアが何処がどう変わっているかと言うと、先ず第一に、犬神と親しいと言う事。 並びにサバサバとした言動で、男子にも女子にも分け隔てなく、更には不良生徒にも差別がない。 贔屓をする事もなく、本当に平等で────つまりは、悪い事をした生徒にも平等に制裁が下される。 都内で有名な不良少女であり、敵なしとも言われる強さを誇る京子でさえ、彼女は臆さなかった。 そんな訳で、真神学園に置いて彼女を慕う生徒は多い。 葵、小蒔、遠野も例に漏れなかった。 醍醐や、声にはしないけれど、京子も無論彼女を嫌ってはいない。 入学してから間のない龍麻も同様に、担任がマリアで良かったと思う事は多い。 彼女はとても真摯に生徒と向き合ってくれる、正に教師の鑑であった。 「そう言えばさ、レスリング部にマリア先生のファンっていたよね」 「ええ。昼休憩に会いましたね」 「今日のこと知ってた?」 「噂で聞いたそうですよ。羨ましいとか言ってましたが……」 「あはは、ヘッドロックがねー」 「あれに締められたら本気で落ちるぞ」 「京子は一回やられたっけ?」 「一年の時にな」 だから京子もマリアには一目置いている。 入学時から既に京子は、色々な意味で有名だったと、龍麻は吾妻橋から聞かされた。 その頃には“神夷”は既に活動しており、“CROW”の存在もあり、アマチュア二大バンドとして知られていた。 二組を牽引する人間が中学生のちに高校生である事もあって、都内では知らない者はいないと言われていた程だ。 京子の場合は更に学校での素行の悪さも手伝って、彼女の入学に学校側は難色を示した。 そんな京子を、マリアは有名であるから不良であるからではなく、他の生徒と同じように扱った。 京子にとってそれは、決して言わないけれど、とても嬉しい事だったのだ。 「京子、一回でいいからマリア先生ライブに呼びなよ」 「あァ?」 「うん、いいわね。マリア先生も京子ちゃんの歌、聞いてみたいって言ってるもの」 「聞いてみたいも何も、聞いただろ。去年の学祭で」 「あの時なら、マリア先生は体育館に来ていなかったぞ。校内見回りの時間だったらしい」 「だから呼べってか?」 思い切り顔を顰める京子だが、頬は紅くなっている。 嫌がっているのは、きっと照れ臭いとか、恥ずかしいからなのだろう。 マリアの話で盛り上がりながら、一行は校門へと近付いていく。 其処に、龍麻はふと、見慣れない人影があるのを見付けた。 「どうした、龍麻」 一点を見詰めている龍麻に気付いて、京子が尋ねる。 それを聞いた葵達も振り返り、五対の瞳が龍麻へと集中した。 龍麻は無言のまま、校門を指差す。 真神学園の校門は変わっている。 江戸時代の末期に建てられた学校だから、その名残であるのか、時代劇で見るような大きな門戸が校門になっている。 更には二体の明王像が構えられ、初めて見る人間を圧倒させた。 その校門の下、明王像が据えられた木枠に寄りかかっている一人の男がいる。 紺色のジャケットを着た、金に近い髪色の、身なりの整った男であった。 誰だろう─────と龍麻達が首を傾げた、その横。 一人で京子が顔を引き攣らせた。 奴ですよ。 ある意味で京ちゃんの天敵、敵わない相手。 UNKNOWN 02 男が顔を上げて此方を見る。 彼はひらりと手を上げた。 「や、京ちゃん」 フランクな挨拶をした男の言葉に、五人の視線が今度は京子へと集まる。 ………かと思ったが、その彼女は既にその場にいなかった。 「てめェちょっとこっち来いッッ!!」 京子はいつの間にか男に駆け寄っており、その腕を引っ張って校門を出て行った。 その速度、まるで電光石火の如く。 取り残された仲間達は、一体何事かと呆然と立ち尽くす。 真っ先に立ち直ったのは、こう言った自体に自ら首を突っ込むタイプの遠野であった。 素早く校門の柱に駆け寄ると、忍者のようにぴったりと体をくっつけ、向こう側を覗き込む。 その傍ら、ポケットからデジカメを取り出すのも忘れない。 それを見た小蒔が駆け寄るものだから、葵も慌てて、彼女達を止めようと近付いた。 しかし力づくと言う手段を取れないので、彼女の止める声は虚しく流れていくだけである。 龍麻は醍醐と顔を合わせ、彼女達と同じく校門に駆け寄って、その向こうをひっそりと覗き込む。 「てめェ、バカか! ガッコ来んなっつったじゃねーかよ!」 怒鳴る京子に、男はにっこりと笑みを浮かべていた。 「そうなんだけど。此処で待っていないと、京ちゃん、何処に行くか判らないだろう?」 「探せ、そんなモン」 「そんな勿体無い。早く京ちゃんに逢いたいのに」 「あ゙〜ッ! 寒い、鳥肌立つッ!!」 寒さを追い払おうとするように、京子は両腕を抱いて摩る。 そんな彼女にも男は怒る事なく、笑顔を引っ込める事もなかった。 「無駄話が目的だったんなら、もう良いだろ。さっさと帰れよ」 「いやいや。それも無くは無いけどね。ちゃんと用事もあるんだ」 「ならそれ済ませて早く消えろ」 京子の態度は何処までも冷たい。 きついこと言うなァ、と小蒔が呟いた。 しかし龍麻は、彼女の態度は決して冷たい訳ではないと感じた。 京子が乱暴な物言いや辛辣な言葉をわざと使うのはいつもの事だが、それにも微妙に違いがある。 本気で言うなら、本当にそれを滲ませる、冷たい声で言うのだ────例えそれが演技でも。 今の京子にそれは見られず、まるで反抗期の子供が意地を張っているように見える。 男はポケットから取り出したものを京子に差し出した。 それが何であるかに気付いた遠野が驚く。 「最新機種じゃん」 なんの事、と龍麻が聞く暇はなかった。 「あ? なんでェ、こんなモン。いらねェよ」 「そうは言うけどね。この間、京ちゃんが電話して来た時に思ったんだよ。やっぱりあった方が良いって」 「いらねェよ、金ねェし。なくても別に困らねェし」 電話────そう、携帯電話だ。 遠野の言葉も合わせると、男は最新機種の携帯電話を京子に渡そうと言うのだ。 何故そんな事を。 しかも京子は、断ってこそいるが、拒絶はしていない。 男に対して、確かに気を赦している。 「料金については心配しなくて良い、俺が払うから」 「だったら余計にいらねェ」 「それなら『女優』の人達にお願いしようか? 先に聞いてみたけど、良いって言ってたよ」 「だーからいらねェっつってんだろ! しかも何先回りしてやがんだ!」 男は明らかに京子が言うであろう事を先に把握し、予想し、それに対策を立てている。 こう言えばああ言う、その時はこう言う、その為にはこれをしておく。 明らかに長い付き合い故の親しさが垣間見えて、龍麻の眉根が珍しくよせられた。 「いいから、一度持っていてごらん。いらなかったらその時返してくれれば良いから」 「ンな事言って、絶対受け取らねェ気だろ。だからいらねェ!」 「じゃあ、此処に入れておこうか」 「あッ、返せコラ!!」 京子の中身の薄い鞄を取り上げる男。 京子は取り返そうと手を伸ばすが、男はひらりとそれをかわす。 鞄を開ける暇はなかったが、男は鞄の蓋の隙間から携帯電話を入れてしまう。 それからようやく、鞄を京子の前に差し出して返却の意。 京子は無言で男を睨みつけ、気に入らないと言っているのが判る表情で鞄を奪い取った。 「モーニングコールが必要なら、いつでもしてあげるよ」 「死ね!!」 誰がンな事するか!! 怒鳴る京子だが、男はやはり応えなかった。 「まぁ、持っていてよ。その方が俺も安心する」 「なんの安心だよ……」 「いつでも連絡がつけられるって事だね。ほら、今は京ちゃんからじゃないと連絡が出来ないだろう? 俺からも話したい事や、伝えなくちゃいけない事が急に出来たりするんだよ」 「オレはない」 「そうでもないだろう。ほら、この間も。公衆電話なんて、手持ちの小銭がなくなったら終わりだし。そうなると、ゆっくり話が出来なくて、ちゃんと相談も出来ないだろう」 男が言っている事は的を射ている。 いつでも双方に連絡を取る事が出来て、公衆電話で10円を入れた時のように、いつ切れてしまうか心配しなくて良い。 長電話をしても(勿論料金はかかるけれど)気にしなくて良いし、順番待ちがある訳でもなく。 常に持っているから、急ぎの連絡の際に待たなくて良いし、メールであれば双方それぞれに時間がある時に確認できる。 損があるのは金銭面ぐらいのもので、それ以外は京子にとって十分利益のある話だった。 でも、嫌がるだろうな。 なんとなく龍麻はそう思った。 京子の反応は、その予想通り。 「やっぱ嫌だ。返す。邪魔だし」 携帯電話を取り出そうと、京子の手が鞄のロックを外そうとする。 その行動に、やっぱりねー、と遠野と小蒔が呟いた。 ─────が。 京子の手に男の手が重なり、それをやんわりと妨げる。 「いいから、ね?」 子供を宥めるような、優しい口調。 京子の頭が僅かに俯いて、男の手が離れる。 もう彼女は携帯電話を取り出そうとはしなかった。 たまには(無自覚に)甘える京子を。 UNKNOWN 03 「それで、あれらは京ちゃんの友達だね?」 くるりと此方へ視線をやって、男が言った。 灰色の瞳が龍麻達を確りと捉えている。 京子がハッと思い出したように振り返る。 その顔は見事なまでに耳まで真っ赤に染まっていた。 「手前ェらッ!」 「うわッ、怒んなくてもいいじゃん!」 「煩ェ!!」 「わわわッ!」 駆け寄ってきて鞄を振り回す京子に、遠野と小蒔は、葵を連れて真っ先に逃げる。 続いて醍醐、龍麻と続いたが、龍麻は完全に逃げ遅れた。 がしっとフードを掴まれて引っ張られる。 背中から判り易く不穏な気配がして、龍麻はゆっくりと振り返る。 其処には案の定、鬼神のような顔をした京子がいて。 「死ね! ってーか殺す!!」 「なんで僕だけ〜」 「なんとなくだ!!」 逃げ遅れたから、一番気を赦しているから。 多分そうなのだろうけれど、それで首を絞められるのは勘弁願いたい。 が、京子は龍麻の都合などお構いなしで、ヘッドロックでぎりぎりと龍麻の首を絞める。 ─────背中に柔らかいものが当たる。 そうなるよね、と胸中で呟いて、龍麻はギブアップを示すが、京子は解放してくれなかった。 京子の怒りを龍麻が一心に被っている間に、遠野が早速、男に駆け寄った。 「あの〜、京子のお知り合いですか?」 「ああ」 遠野の質問に、男は笑みを浮かべて頷いた。 「八剣と言う。宜しくね」 「あ、どうも。遠野です、アン子って呼ばれてます」 「美里葵です」 「桜井小蒔です」 「醍醐雄也と言います」 遠野から順番に自己紹介をして、挨拶に会釈する。 龍麻はまだ京子に首を締められている。 しばらく逃げられそうにない事を判じて、遠野が代わりに紹介した。 「あそこで京子に首締められちゃってるのが、緋勇龍麻君です」 「ああ、彼がね。京ちゃんから聞いてるよ。君たちの事も一通り、ね」 八剣の言葉に、葵達はそれぞれ顔を見合わせた。 京子が自分の身に起きた事をわざわざ人に話すのは珍しい事だ。 と言う事は、この男は京子ととても仲が良いと言う事になるのだが、果たしてどうして其処まで京子が気を赦すのか。 京子と言う人物をよくよく知っているだけに、これは驚いた。 目を丸くする一同の心情が読み取れたのか、八剣の方から答えを教えてくれた。 「京ちゃんは俺の従兄妹でね」 「はぁ」 「どーりで」 八剣の一言で、全ての疑問は解決された。 蓬莱寺京子は誰に対しても、先ず一番に警戒から入る事が多い。 龍麻は珍しいパターンで、そのお陰で葵や小蒔とは何度も揉めたし、遠野もきつく当たられた事がある。 醍醐に至ってはそもそもが喧嘩だったか乱闘だったかが始まりであった。 しかし一旦受け入れると、彼女の懐そのものが案外広く、それまでとは赦される範囲が格段に変わる。 寄ると触ると噛み付かれるのではと言った風の威嚇は丸くなり、反対にかなり無防備になって来る。 極端なのだ、京子は。 そんな京子が、この男をどうしてあんなにも気安く接していたのか。 単純に付き合いが長いとかではなく、身内であると言うのなら納得出来た。 「妹が世話になってる」 「いやいやいや!」 「そんな事ないです!」 「はい。私達の方が京子ちゃんには良くして貰っています」 遠野と小蒔が慌てて首を横に振り、葵が穏やかな笑みで言う。 それを聞いた八剣は、安心したように柔らかく微笑んだ。 「それなら良かった。ほら、気難しいだろう、あの子」 「気難しいって言うか、何て言うか……」 言いよどむ遠野であったが、八剣はそれを気に留めた様子はなかった。 と、微笑む八剣に、京子の尖った声が向けられる。 「おい! 何ナンパしてんだ、手前ェは!」 「それは違うと思うよ、京」 散々龍麻の首を絞めて、ようやく気が晴れたのか、京子はずんずんと話し込んでいる輪に割り込む。 龍麻も赤くなった首を摩りながら、一同の中に加わった。 「始めまして、緋勇龍麻です」 「ああ。八剣と言う、宜しく」 八剣に手を差し出され、龍麻はしばらくそれを見詰めてから、其処に自分の手を重ねる。 触れた八剣の手には胼胝のようなものが幾つもあった。 それと同じか、似たような感触を、龍麻は知っている。 なんだっけ────と数瞬考えてから、最初に京子の手を握った時だと思い出した。 あの時は眼前の強い瞳に引き付けられて気にならなかったけれど、彼女の手にも、八剣とよく似た胼胝があるのだ。 八剣は笑顔だ。 遠野達と向き合っていた時と同じ笑顔。 ─────同じ、筈。 ………じわり、何かが内側から滲み出してくるのを龍麻は感じた。 それが自分のものか、目の前の男であるかは判らない。 ぐい、と一本の手が八剣の髪を一束掴んで引っ張った。 無論、京子である。 「さっさと行くぞ、ナンパ野郎」 「ナンパはしていないよ」 「いーんだよ、お前なんかナンパ野郎で」 「焼餅しなくていいよ。京ちゃんが一番可愛いから」 「聞いてねーし焼いてもねェ! 脳ミソ腐ってんのか、このバカ!」 ぽんぽんとテンポ良くかわされる応酬に、葵と小蒔は笑いを堪えきれない。 醍醐は驚いた顔でその様子を見ており、遠野はちゃっかりとカメラに二人を押さえていた。 言っても言っても、京子の台詞は殆ど受け流されている。 二人は従兄妹だと八剣は言うから、恐らくこんな遣り取りはいつもの事なのだろう。 このままだと延々と続きそうな遣り取りに、龍麻は京子の手を引っ張った。 「京、早くラーメン」 「あ? あ、ああ……」 龍麻がそう言って促す行為をするのは珍しく、恐らくメンバー全員にとっても初めての事だった。 京子とて驚かずにはいられず、少々声が上擦る。 返事をしてから、京子は自分の手を握っている龍麻の手を見下ろし、気まずそうに頭を掻く。 「あー……悪ィ、今日はオレ、パス」 「えーッ!!」 京子の申し出に小蒔が驚愕に声を上げる。 何よりもラーメンが好きな京子であるから、この一言には全員が驚いた。 今日は揃って驚く事ばかりである。 龍麻は京子のその一言に、彼女の手首を握る自ら手に力が篭る。 なんでなんでと言う遠野に、京子は唇を歪めて視線を彷徨わせるばかり。 やがてその瞳は、自分の直ぐ後ろに立っている男────八剣へと向けられた。 それはそうだ、と龍麻は思う。 現状で、この時点で急に京子が予定を変更する理由と言ったら、彼以外に存在しない筈だ。 それは何も可笑しい事ではない筈なのに、また龍麻の手に力が篭った。 「おい、龍麻」 「何」 「じゃねェよ。痛ェんだよ、この阿呆」 龍麻の頭を鞄が打つ。 中身が空とは言え、皮製で形を保護する板も入っている訳で、少し痛かった。 仕方なく龍麻が京子の手首を離すと、其処にはくっきりと手形が残っている。 それを見て初めて、悪い事したな、と龍麻は今更ながらに認識した。 京子はまるで気にしていなかったけれど。 帰り道の楽しみを辞退すると言う京子に、遠野が納得行かないと言うように唇を尖らせた。 んな顔されても、と京子の表情に呆れが混じる。 「何? 京ちゃん、何処かに行く予定だった?」 「ラーメン食いに」 八剣からの問い掛けに端的な答え。 京子としても勿論楽しみだったのだろう、八剣を振り返る表情は至極不満そうだ。 それを感じ取ったのか、 「じゃあ、食べてからにしようか」 「は? お前、まさか来る気かよ!?」 「俺も夕飯はまだだし。たまには奢らせてよ」 くしゃ、と京子の頭を大きな手が撫でる。 京子は直ぐにそれを打ち払った。 「撫でんな! ってか、いつも奢ってんじゃねーか! 俺の分勝手に金出して!」 「だって言ったら嫌だって言うだろう」 何処までも行動を把握されている。 そして、先を越されているらしい。 京子はぎりぎりと歯噛みして八剣を睨みつける、が、八剣は何処吹く風と言う有り様だ。 八剣は温和な笑みを浮かべて、その場に集まっている一同を見渡し、 「君達の分も俺が出そう」 「へッ? いいの?」 「小蒔……」 「構わないよ。これでも社会人だし。何より京ちゃんの友達、だからね」 大人の余裕を匂わせて言う八剣に、小蒔と遠野が手を叩いて喜ぶ。 葵と醍醐は頭を下げる。 龍麻はと言うと────完全に臍の曲がった京子をじっと見ていただけで、八剣の事は見ようとしなかった。 この設定がやりたかったんですね(爆)。 UNKNOWN 04 行きつけのラーメン屋へと向かう顔ぶれが、いつもと少しだけ違う。 一番前から遠野と葵が今日一日の出来事について花を咲かせ、その後ろを小蒔と醍醐が歩いている。 醍醐は今日の家庭科の授業で作った山菜料理について語っており、小蒔はその味をとても褒めており、此方も(若干の温度差はありつつも)楽しそうだった。 其処まではいつもの光景だ。 残りのメンバーも含め、前後が入れ替わる事はあるが、基本的に同じ風景である。 違うのはその後ろ─────龍麻と、更に後ろを歩く二人。 いつもは隣で授業がだるいとか、犬神の阿呆とか、マリアちゃんも意地が悪いとか。 殆どが愚痴で埋もれる会話を京子としている(龍麻は聞いている一方)のだが、今日はそれがない。 京子は龍麻よりも後ろを歩き、その隣には従兄だと言う男が並んで歩いている。 「だァから、なんであれじゃなきゃいけねェんだよ」 「新しい試み、って事でね」 「嫌だ。眠くなる。やる気起きねェ」 「そう言わずに。ね?」 子供のワガママを言うような口調で、京子は顰め面をしている。 それを向けられた長身の男────八剣は、そんな彼女を叱る事をしない。 怒るどころか宥めるように柔らかく言い聞かせていた。 龍麻が、京子にそんな風に接する人間を見たのは、これが初めての事だ。 (なんだろう、これ) じりじりとしたものを胸の奥に感じるような気がして、龍麻は眉根を寄せた。 前を歩くクラスメイト達にも、後ろを歩く京子にも、それは気付かれない。 龍麻の神経は、只管に背中から聞こえてくる会話に向けられていた。 「コードを変えてみたら?」 「もうやった。やっぱ駄目だ」 「一から作り直しか」 「あー面倒臭ェ!」 どうやら、二人の話題はバンドについてらしい。 従兄妹同士なのだから、それぞれに何をやっているのか、知っていても何も可笑しくはない。 普段からこうして会話を交わすような仲ならば尚の事。 行き詰ったバンド活動の愚痴を言ったり、悩み事を相談したりする事もあるだろう。 ……愚痴はともかく、相談と言う単語が京子と結びつかないような気がするが。 聞こえる会話を読み取る限りでは、二人でバンドについて話し合うのは通例のようだった。 それだけの回数を話しているのだろうから、バンドメンバーとは違う八剣でも、こうしたらと言う提案も出てくる。 それはバンドを見ているだけの龍麻達には出来ない事で、彼女も恐らく期待していないだろう。 何故だろうか。 胸の奥のじりじりとした感覚が強くなっていくような気がする。 「大体なんであんな……」 「まぁそう言わず。もうちょっと頑張ってみようか」 やってられるか、そう叫ぶものだと龍麻は思っていた。 だが京子が声を張り上げる事はなく、ブツブツと小さく文句を言っているだけ。 だから恐らく、本気で投げ出すことはないだろう。 じりじりする。 違う、ぐるぐるする。 ……どっちも違うかな。 龍麻は湧き上がってくるものの正体に首を傾げる。 だが判らない、判らないのにそれは溢れてきて止まらない。 「そんなにベース弾きたい?」 八剣の問いに、京子は答えなかった。 どんな顔をしているのか気になって、龍麻は肩越しに振り返る。 それから─────後悔した。 京子の頬は赤らみ、そういう事が多い事は龍麻も知っていた。 プライドが高いと言うか、京子は“自分らしくない”と思っている場面を見られると、真っ赤になって怒鳴る。 先程の八剣との遣り取りを見られた後も、真っ赤な顔で龍麻の首を絞めた。 あれが彼女が普段見せる表情だ。 しかし今の京子は、顔が赤いのはいつも通りだが、表情が違う。 誤魔化すように眉尻を吊り上げて怒り散らす事もせず、唇を噛んで、逸らされた視線は何か言いたげだ。 何も言わないのは、言葉にする事をまるで禁じているようで、でも誰かに汲み取って欲しい────そんな感じがする。 それは京子と言う人間にとって、無条件の信頼の表れであるような気がした。 それを目にする男の瞳は、何処までも優しくて、まるで包み込むようで。 彼がそんな顔をするのを知っているから、京子は男を見ようとしない。 ぎゅう、と龍麻の鞄を持つ手に力が篭る。 「うーん……」 「……もういいじゃねェかよ、いつも通りで。その方がウケる」 「そうかも知れないけど、歌詞に合わないだろう」 「じゃあそっちも変えりゃいい」 京子の子供のような言い分に、八剣の眉尻が下がる。 仕方がない子だな、とでも言うように。 「仲が良いのね」 「だよねェ。やっぱ京子も、お兄ちゃんにはああなんだ」 前を歩く葵と小蒔の会話。 「撮っとこうっと」 「撮るのは良いが、遠野。新聞には載せるなよ?」 「えーッ。折角の大スクープなのにィ」 「蓬莱寺は間違いなく怒るだろうし、あの人は学校関係者じゃないだろう。勝手に使うのは、肖像権の侵害になるぞ?」 醍醐の言葉に膨れ面になる遠野だが、葵と小蒔からも注意されては認めるしかない。 その所為で自分がトラブルに遭うのも、勿論、友人や取り上げた人が嫌な思いをするのも、彼女とて望まない。 彼女が追い駆けているスクープと言うものは、あくまで、他者が見て純粋に面白いと思うものなのだから。 「じゃあさ、じゃあ。個人的にあたしが聞くのは問題ないわよね?」 「言い触らさないんだったら、まぁ、良いんじゃない?」 どうしても、遠野は“八剣”と言う人物について知りたいらしい。 身内とは言え京子が此処まで信頼する人間は初めてだからだろう。 京子の事を中学生の頃から見聞きし、“神夷”についても調べ上げていた遠野だ。 こうなると京子の周辺の事で気になることがあると、調べずにはいられないのだろう。 そんな遠野に、凄いな、と龍麻は思う。 自分に其処まで、他者のテリトリーに踏み込む度胸は無い。 今は皆が扉を開いてくれているから、入って行けるだけだ。 遠野や小蒔のように自らドアを開ける事も、葵や醍醐のようにノックをしてみる事さえ、龍麻は出来ない。 増して、京子のようにドアを壊して、その中に閉じこもる人物を引っ張りだそうだなんて。 (だから……─────知らないんだ) 最後尾を歩く二人を見ながら、龍麻は胸中で呟いた。 彼女だけのテリトリー。 其処に入って行く事が出来ない。 築かれ始めた関係を、壊したくないから。 だから、距離を近付けることが出来ない。 知らない彼女を知らないままで、眺めているしか出来ない。 龍京なんだか八京なんだか、自分でもよく判らなかったりする(爆)。 話は結構考えてるんですけど、未だに…… → |