いつから、此処でこうしているのだろう。
その答えを、一体何度探そうとして、見付からないまま考えるのを止めただろう。






石造りの重いテーブルと、白い無機質な壁椅子、妙に細工の凝った三脚椅子二つ、中身の少ないクローゼット――――――それが此処に在るもの。

後は部屋を出入りする為の扉が三つ、二つつはトイレと風呂に繋がっている。
残った一つは部屋の外――多分廊下――へ繋がっていると思うのだが、過去に何度も試したけれど、京子の意思でその扉が開かれたことはなかった。



どんなに力を入れて押してもビクともしない扉は、日に一度だけ、外からの力によって開かれる。
入ってくるのは決まって緋色を纏った男で、京子の食事を持ってくる。

男が敷居を跨いで部屋に入ると、すぐさま扉は閉まり、やはり京子が開けようとしても動かない。
再び扉が開かれるのは、男が用意した食事を京子が食べ終えてからで、それもやはり男が押して開けるのではなく、外界からの力によって扉は鍵を外され音を立てるようになっていた。


緋色を纏う男と、会話をした事はない。
する必要がないからだ。

男は喋るが、京子は黙っている。
相手は喋れと言わず、一方的に自分が喋っているだけで、奴はそれで満足しているらしい。
聞いているつもりもなかったが、男は傷付いた顔をする事はなく、ただ喋っていた。
今日のスープの味はどう? 昨日のパスタは嫌いだったかな、あまり塩を振ると体に悪いよ。
そんな事をつらつら勝手に喋って、京子が食事を終えると、食器を持ってまた部屋を出て行く。

ありがとうも、お疲れ様も、京子は言った事がない。
何故自分の世話なんかをしているのか、疑問に思った事はあったが、どうせ教えてはくれないだろう。
教えてくれるような相手なら、こんな異常な場所で京子の世話を黙々とする事はないと思う。





食事や睡眠等の最低限の行動以外、京子がする事は何もない。
だからずっと窓辺にいて、変化のない暗い空を眺めている。





京子の記憶が、初めてこの無機質な部屋で始まった日から、暗い空は変わらない。
漆黒に塗り潰された空には、申し訳程度の灯りがぽつりぽつりと浮かんでいて、後は何もない。
雲もない、月もない、それがどういうものであったのかすら京子にはもう判らない。

朝日が昇る所を見た事はなく、この空がもっと明るい蒼を持っている事も京子は知らない。
京子がこの窓から見る空は、常に夜の時間の中に滞在していて、一度も朝を迎えた事はない。



太陽は眩しいらしい。
緋色を纏う男がそう言っていた。
よく判らない。

だって京子は、太陽を見た事がない。
少なくとも、京子の記憶の中で、そういうものは存在していなかった。
一時期など、空はこういうものだと思っていた程だ。


緋色の男は太陽が好きらしい。
太陽についてよく喋る。
京子に似ているんだと言う。
意味が判らない。


そんなに良いものなら、どうして此処にはないのだろう。
そう思っていたら、顔に出ていたのか知らないが、男は問われるよりも――問うつもりもなかったが――先に答えをくれた。








『隠されちゃったんだよ。光が強過ぎて、ヒトが生きていけなくなったから』







身勝手な話だね。
酷い事を押し付ける。

緋色の男はそう言って、その日は、それからぱったり黙り込んだ。


いつも喋ってばかりの男が黙っている事は静かで良かったが、いつもと違うからそれはそれで落ち着かなかった。
男の表情は変わらなかったが、どうやら言いたくなかった事を言わせたらしいと感じた。
……だからと言って、謝罪するなんて選択肢は、京子の中に浮かばなかったのだけど。




京子は、知らない事が多過ぎた。


どうして空が漆黒なのか、太陽が隠されたのか。
どうして自分は此処にいて、それが当たり前のように感じるのか。

緋色の男の名前も知らないし、京子と言うのが本当の名前かどうかも判らない。
最初に緋色の男と顔を合わせた時、確か京子ちゃんだから、京ちゃんでいいね、と言った。
二人きりで自分に向けて言われて、以来男は自分をそう呼ぶから、前述の“京子”が自分なのだろうと思った。


自分の事さえろくに知らないから、本当に知らない事だらけだった。
記憶が始まった最初から、ずっと。






それが当たり前で。
それが京子の普通だった。

普通、だったのだけれど。








(夢を見た)








それが切っ掛け。



漆黒とは違う、透き通るような蒼。
強い光が天上から降り注ぎ、夢の中で京子はそれを見上げていた。


じっと見ていると、何かに視界を遮られた。
直接見るのは良くないんだよ、と言う声が聞こえて、振り返ると、人がいた。
緋色の男以外を見たのは始めてだったから、しばらくそれが人である事に気付けなかった。
見上げた人の顔は翳りになって見えず、ただ声音は緋色の男よりも幾らか高かったように思う。

その人はしばらく京子を見下ろした―――相手の顔が見えないから、勿論目も見えなくて、正確には此方を見ていたのかは知らないけれど―――後、京子に手を伸ばした。




行こうよ。

そう言われているような気がした。




その手を取ったらどうなるのか、判らなかった。
判らなかったけれど、怖いとも不安とも感じる事はなかった。

行けばいい。
行きたい。
そう思った。


思って手を伸ばしたら、その手を掴むよりも早く、目が覚めた。






目覚めて見た空は、いつもと変わらない漆黒。
ぽつりぽつりと、星明り。

夢に見た蒼く光の降り注ぐ空は、其処にはない。



夢に見た空が、光が、緋色の男の話していたものと同一かどうかは判らない。
判らなかったが、それでも、あの蒼の色と、降り注ぐ光は、京子の脳裏に焼きついて離れなくて。











此処から出たら。

この何もない部屋から出たら。


ほんものの蒼と光の下で、今度はあの手を掴めるだろうか。
















下絵を描いている時は突発で何も考えてなかったのですが、色塗ってる最中にストーリーが浮かびました。
ぶっちゃけると、元ネタは[天岩戸]。……考えたストーリーはまるで原型ないですけど(爆)。
八剣→京子で龍麻→←(?)京子で、如月も出したい。