それは、些細だけれど、特別な、

























Person who permits the how to call

























おや、と。
げ、が。

龍麻の耳には、ほぼ同時に聞こえた。



変わるのを待っていた信号に向けていた視線を、隣に立つ恋人へと向ける。
その恋人は此方を見てはいなくて、向けているのは龍麻の反対側、雑多な人ゴミの隙間。
其処に立っている、この東京と言う大都会では少々浮いている着物を着た人物へと向けられていた。

薄い笑みを梳いた口元をそのままに、その人物はゆっくりと此方に歩み寄ってくる。
京子はその人物から視線を逸らして堪るかとばかりに、ぎりぎりと睨み付けていた。


早く信号変わらないかな。
龍麻はそう思っていたのだが、生憎、この信号は赤のままでいる時間が長い。
結局、歩み寄ってきた人物は、直ぐ其処まで来てしまった。








「や、京ちゃん」
「京ちゃん言うな」







こんにちは、ご機嫌如何?
最高に悪いぜ、こん畜生。

所謂、二ヶ国語とでも言う奴だろうか。
龍麻は、二人が明確な音にした言葉の影に、音声字幕が付いているような気がした。
多分、隠れた内容も外れてはいないと思う。


蓬莱寺京子と、八剣右近。
二人の会話は、ほぼ必ずと言って良い程この切り口から開始される。






普通はおはようございますだとか、こんにちはだとか、今日は天気が良いねとか。
会話の糸口として使用される挨拶の種類は、人と人、またその相関図によって多種多様だが、往々にしてそんな類だろう。
しかし、この二人にはそれが通用しない――――否、京子がその手の挨拶に乗らないのである。




京子の挨拶の形は、きちんとした礼儀正しいものである場合の方が格段に少ない。
真神学園のクラスメイト達が相手ならば、殆どが「よう」に纏められる。
「おはよう」も「こんにちは」も「こんばんわ」も「久しぶりだね」も、殆どがその一言に要約されており、バリエーションがない。
ないが、「おう」の二文字にも色々なニュアンスはあるもので、親しい者、気を許している者、威嚇している相手で違いが生じる。
それでも、挨拶されている、挨拶の返事があると言う事は、その人物と少なからず会話の遣り取りをする気があるという証だ。


そして、八剣はそれに当て嵌まらないのである。
相手の存在を認識しても、出来る限り無視してしまおうと言う姿勢が京子の側に見られる。
故に八剣が「おはよう」「久しぶり」などと言っても、京子は聞こえない振りをして無視するのだ。

京子のその姿勢は頑ななもので、葵が「挨拶ぐらい…」と促しても、その言葉さえ無視するほどだ。
他の相手であれば、渋い顔をしてでも、一つ挨拶してまたそっぽを向く、位はするのに。



どうしたものかと考えた八剣の考えた末に撰んだのが、京子が嫌う“京ちゃん”の呼び名を口にする事だ。



この名で呼ばれると、京子はほぼ確実と言っていい頻度で「呼ぶな」と言う。
京子がいつからそう呼ばれて、そうして返すようになったのか、龍麻は知らない。
しかし半ば条件反射になっている返しである事は、誰が見ても明らかだ。

そして京子も無視すれば良いと判ってはいても、染み付いた癖は抜けず、つい言葉を返してしまう。
一度答えれば次の言葉に答えぬ訳にも行かず(無視していれば、すればするだけ、しつこく“京ちゃん”と呼ぶからだ)、今ではすっかり挨拶がわりの遣り取りになってしまったのである。






嫌いな呼び名で呼ぶ八剣を、京子は忌々しげに睨み付けている。

気付いた時点で目を逸らさなかったのは、最終的にこのスタンスになるからだ。
会う度に繰り返されるのだから、ならば最初から威嚇している事にしたらしい。
八剣が此方に気付いた以上、何事もなく、無視される確率はほぼ零に等しいのだから。








「今日は二人でデートかな?」
「……そう思ってんなら、空気読んでさっさと消えやがれ」








デート、という単語に京子の顔に薄ら朱色が昇った。

普段、京子はそういう単語に慣れていないのだ。
言った相手が小蒔や遠野であれば、そんなのじゃない、二人でラーメン食いに行くだけだ(人はそれをデートと呼ぶのだと必ず言われる)と言うのだが、今日の相手は八剣である。
追い返せるなら、自分個人の羞恥の一つや二つは飲み下すつもりのようだ。


が、八剣は笑みを浮かべて、







「いいねェ、仲睦まじくて。俺も相判して良いかな?」
「失せろって言ってんのが聞こえてねーのか、テメェは」







平然と言ってのける八剣に、京子は噛み付きそうな表情で言った。

相手が吾妻橋であれば平伏し、そこいらに転がっているような破落戸(ごろつき)ならば恐れ戦くのだろう。
しかし生憎ながら此処にいるのは八剣右近であり、京子の威嚇など何処拭く風だ。



信号のランプが、漸く赤から青へと変わった。








「京、行くよ」







眼前の敵(少なくとも、京子にとっては未だ敵であるのだろう。色々な意味で)を睨む京子の手を引っ張って、龍麻は歩き出す。
横断歩道を渡り始めると、龍麻と京子の横に並んで、草鞋が足を運んでいた。








「連いて来んじゃねェよ!」
「俺も行き先が此方なんだよ。奇遇だね、ねェ京ちゃん」
「嘘吐け! まとわりつくな! 京ちゃん言うなッ」
「京、木刀振り回さない。危ないから」







往来の真ん中で暴れだしそうな勢いの恋人。
龍麻はそれを手を引っ張ることで制して、横断歩道を渡り切った。
それに続いて、八剣も横断歩道を渡り切る。


行きつけのラーメン屋に向かうべく、その方向へと龍麻が足を向けると、八剣もそちらに足先を向けた。
振り返って相手の顔を見れば、口元に梳いた笑みは相変わらずそのままで、面白そうに此方を見ている――――正確には、京子を。

視線を向けられている京子は、面白がっていると判る八剣の表情に、益々苛立っている。
一々そういう反応を返すから、八剣は益々構いつけるのだろうに。
言っても我慢できるような性格の彼女ではないから、龍麻はそれを言わないが、少々困ることもあるし、京子の恋人は自分である訳で、そうなると幾ら龍麻と言えど避けられない感情も生まれてくるもので。









「京、走るよ」
「あ? うわッ」







人通りの多い道を、周囲の事など構いもせずに、龍麻は走り出した。
不意の出来事に京子は引っ繰り返った声を上げ、それでも転ぶまいと足を動かした。

虚を突かれたのは京子だけでなく、八剣も同じだったようで、普段ふわふわと笑んでいる龍麻が突然駆け出した事に少し驚いたように立ち尽くしていた。



おい龍麻、どうした、いきなりなんだ。
繰り返して呼びかける京子に、龍麻は応えなかった。
なんなんだよと問う声には、後で答える事に決めて、今は足を動かす。

龍麻が本気で走っている事を察した京子も、ブツブツと愚痴を漏らしながら、同じように走った。
スカートが翻る事も気にせずに、そうでなければ転んでしまうから。












あっと言う間に人ごみの向こうに消えた二人を、見送って、置いてけぼりを食らった男は呟いた。










「案外、ガードが固いねェ」









侮っていた訳でもないけれど。
走り出す間際に見えた、少し幼い顔立ちの少年の“男”の顔。

それを一瞬だけ思い出して、次の瞬間には真っ直ぐ睨み付けて来る少女の顔を思い出しながら、八剣は二人とは全く反対の方向へと踵を返した。













































走って走って、龍麻が足を止めたのは、行き付けのラーメン屋に続く階段の下だった。



距離数にすると1qはあったかも知れない。
信号は無視できる場所は無視して、長くなりそうな場所はルートを変えて、とにかく走りに走った末である。
龍麻も京子も運動や体力には自信があるが、流石に一気に駆け抜けるのは疲れた。

とくに京子は突然の事だったし、向かう先は判っていても龍麻があちこちルートを変えて走るので、振り回された気分である。
いつものルートで最短であるのは確かで、それをわざわざ遠回りして、この辺りの地理は知り尽くしたつもりでいたが、普段通らぬ路地まで使われると判らなくなって来る。
おまけに先導する形の龍麻も、道に詳しいとは言い難いから、はっきり言って気が気じゃなかった。
お陰で、肩で息をする京子は、誰の目から見ても明らかな程、隣に立つ龍麻よりも疲弊していた。


最後の階段を上る前に、龍麻は京子の息が整うのを待った。
そうしていると、幾らか呼吸が収まったのを期に、じんわりと汗を滲ませた京子はジロリと龍麻を睨み付けた。







「テメェ……龍麻ッ!」
「何?」






一つ息を吸い込んで、京子は怒鳴って龍麻の名を呼んだ。

京子はよく叫ぶ。
先ほどの八剣との遣り取りの中でも、半分以上が声を荒げたものだった。
喉を痛めないのかなと思いつつ、龍麻は動じることなく京子の言葉を待つ。






「何じゃねーよ、いきなり走り出しやがって!」
「いきなりじゃないよ。ちゃんと言ったし」
「言うと同時に走り出しただろ。あんなモン予告にも何にもなんねェよ」






せめて一拍置け、と言う京子。
じゃあ次からそうするようにしてみる、と曖昧な返答をした龍麻に、京子はまた青筋を浮かべた。
するようにする、じゃなくて、そうしろ、と言う京子に、龍麻は今度は頷いた。


前髪を掻き揚げて、木刀をいつものように肩に担ぎ、京子は階段を上る。
龍麻もそれに続いた。

コンクリートの硬い音が規則的に鳴り響く中、京子がまた口を開いた。







「で? なんで急に走り出したんだよ」
「うーん……」
「…ってコラ、まさか判んねェとか言わねェだろうな」






濁った龍麻の声に、京子が階段の一番上に右足を乗せ、上半身を捻って龍麻を見た。
斜め上から見下ろしてくる京子の顔を見上げ、そうじゃないけど、と龍麻は呟き、







「そうじゃないけど、言わなきゃ駄目かなって」
「散々振り回しやがった理由ぐれェ教えろ。割に合わねェよ」






そんなに振り回したかなぁと龍麻は胸中で呟いた。
だって確かに京子は色々と愚痴を言っていたけれど、しっかり龍麻について来た。
いつもは曲がらぬ道を曲がる度、何処に行くんだと焦った声が聞こえたが、ラーメン屋だよと其処はきちんと答えた。

―――――とつらつらと考えては見たが、京子が振り回されたと思っているなら、自分は彼女を振り回したのだろう。


ごめんねと言うと、京子はぷいっとそっぽを向いて階段を昇り切り、足早にラーメン屋の門戸へ向かった。
その耳が僅かに赤くなっているのを見つけて、龍麻は小さく笑みを浮かべ、後を追う。



カラリと軽い音を立てて、ラーメン屋の扉が開かれた。






「ラッシャイ!」
「チャーシューとんこつ大盛、それとギョーザ」
「僕も」
「ハイヨ!」





コニーの景気の良い声に迎えられ、二人はいつも座っているカウンター席に腰を下ろした。







「―――――で?」







薄い鞄を床に置くと同時に言われて、龍麻は一瞬、きょとりと眼を瞬かせた。
しかし京子が頬杖をついて胡乱げに此方を見ている事に気付き、ああさっきの話の続きだと知る。







「京が、八剣君ばっかり構うから」
「はぁ!?」






掌に載せていた顎を浮かせて、京子は素っ頓狂な声を上げた。










「なんか悔しくて、妬いてた」









カウンターの壁に並べられているラー油の瓶を突きながら、龍麻は呟く。



京子はぽかんと口を開けて、此方を見ている。
口に埃が入っちゃうよ、と思いつつ、龍麻はにっこりと微笑んだ。

瞬間、カッと京子の顔に朱が浮かぶ。


友愛にしろ、恋愛にしろ、京子はいつまで経っても“愛されている”事をストレートに表現されるのが苦手なのであった。




紅くなったままでフリーズした京子に再起動をかけたのは、コニーの声だった。
ヘイお待ち、と暖かな湯気を浮かべたラーメンを置かれて、はっと意識が現実に返る。

京子は龍麻から目を逸らし、





「な、んでお前があの野郎に妬くなんつー話になんだよ」
「八剣君といると、京が八剣君ばっかり構うから」
「…そりゃさっきも聞いたが、なんだってそういう事になってんだ」
「だって、京がそうしてるから」
「ありゃ向こうが鬱陶しく付きまとってくるからだッ」






ラー油に手を伸ばしながら言う京子に、うん、そうなんだろうけど、と龍麻は呟く。







「でもやっぱり悔しいよ」
「何が」
「僕と一緒にいるのに、京、僕の方見ないから」






つるり。
京子の箸から、今まさに口に入ろうとしていた麺が滑り落ちた。



京子にしてみれば心外だ、龍麻の言い方も含めて。
好きで八剣の相手をしている訳でなし、出来る事なら無視してしまいたい。
けれども無視していれば好き勝手について来たりして、ならばさっさと追い返してしまいたい。
相手をするのも追い払う為と言うのが京子の意識であって、それ以外のものはないだろう。

延々と相手をしなければならない羽目になっているのは、八剣がちっとも応えないからである。


それを、恋人を放ったらかして他の男の相手をしている、なんて言い方をされれば、心外以外の何者にもならない。
相手が醍醐であったり、如月や雨紋のような、そこそこ懇意にしている相手であるなら、ともかく。




箸を下ろして、京子は龍麻を睨み付ける。








「阿呆な事言ってんじゃねーぞ、お前……」







眼が少し据わっている。
が、龍麻はそれを気にしなかった。







「八剣君と一緒にいると、京はずっと八剣君を見てて」







正しくは睨んでいるだけだ。
相手がどんな出方をしてくるか判らないから、常に警戒しているだけ。
目を逸らしていたら、不意の攻撃に対応が遅れてしまうから。

けれども、視線がそちらに向いている事に変わりはない。







「僕の話なんて聞いてない感じだし」







龍麻が喋っている事は滅多にない。
これは普段からで、もともと饒舌に喋る方ではなく、周囲が喋っている最中、龍麻は大抵聞き役である。

それでもたまには喋る事もあり、街中で見かけた広告だったり、道端を横切る猫であったり。
何かしら気を引くものはあって、それについて話しかける事はあって、京子もそれに一言二言ではあるが反応していた。


しかし、八剣がいると、京子は龍麻の話なんてすっかりそっちの気である。
先ほども八剣の言葉に反応してばかりで、龍麻のぽつりぽつりとした言葉なんてまるで聞こえちゃいなかった。



話を聞いていなかったという自覚はあったようで、京子は少々バツが悪そうに頬を掻く。







「っつったって、そりゃよォ……あの野郎が」
「うん。判ってる」
「だったらよ」
「判ってるけど、やっぱり悔しいんだ」







だって好きだから。



告げた言葉に、京子の顔がみるみる赤くなっていく。
沸騰したヤカン宜しく、頭から湯気が噴出してしまうんじゃないかと思うほど。







「八剣君が京の事、京ちゃんって呼ぶのもちょっと悔しい」
「は?」
「って言うか、羨ましい、かなぁ」
「……はぁ〜?」






京子はあからさまに顔を顰めて、龍麻の言葉が理解できない、と言外に告げている。







「だって渾名で呼んでるから」
「……お前だって似たようなモンだろ」
「でも、京ちゃんの方が親しそうな感じする」






“京”と“京ちゃん”。


後者の呼び方を京子は常々嫌っているが、舎弟とは別に、『女優』の人々や、コニーのようにな歌舞伎町で係わりのある人達からは、よくそう呼ばれてはいる。
その都度「呼ぶな」と言う言葉を返すけれど、皆それを気にするような様子はなく、やはり“京ちゃん”と呼んでいる。

『女優』の人々は長い付き合いからか、「呼ぶな」と言う言葉にも険はない。
コニーに対しても、少々のうんざり感はあるものの、それは決して嫌悪から来たものではない。
恐らく、女らしくは無い彼女の性格が、“ちゃん”付けされる事に未だに慣れないのだろう。
真神のクラスメイト達でさえ、京子を“ちゃん”付けで呼ぶのは、葵くらいのものであった。
それも最初の頃は渋い顔をしていたものである。


嫌う呼び方を(諦めもあるだろうけれど)容認すると言う事は、その人物に対して好意があるとも取れる訳で。











「バカな事言ってんじゃねえよ」









龍麻の思考をばっさりと断ち切るかのように、京子は言った。


阿呆とか、バカとか。
真面目に考えてるんだけどなぁと思いつつ、龍麻はラーメンを啜る恋人を見遣る。

京子はズルズルと豪快に麺を啜ると、次に丼を持ってスープを飲んだ。
丼を口から放すと、口の周りに薄らと付着したスープの脂分をペロリと舐める。
カウンターから差し出された餃子を受け取って、タレをかけながら、京子は続けた。






「止めろっつってんのに、あいつが止めねェだけだ。許可した訳でもなんでもねェ」
「うん。そうなんだけど」
「だいたいなぁ―――――」






言いかけた形で、京子は一瞬、止まった。
それはほんの一瞬だったが、龍麻は見逃さない。


京子の目が龍麻を見遣って、それはほんの僅かな時間だけだった。
視線はすぐに明後日の方向へと向けられて、龍麻から彼女の表情は見えなくなった。

ああ、照れているんだと気付くのに、それ程時間は要らなかった。










「お前のその呼び方許してんのは、お前だけだ」









他に呼んでる奴いねェだろ。
呟いて、京子は餃子を手で引っ張り寄せ、そっぽを向いたままで食べ始めた。





そうだっけ。
そうだったか。

ああ、そうだ。


考えて、龍麻は思い出した。
龍麻が真神学園に転校して来た初日、なんと呼ぼうか少し探り気味に呼びかけた時、京子の方から言われたのだ。
その時どんな顔をしていたのかは見えてはいなかったから、残念なことに知らないけれど。



京子の呼び名は幾つかある。
『女優』や歌舞伎町の人々からは「京ちゃん」、舎弟からは「アニキ」、クラスメイト達からは「蓬莱寺」「京子」。
畏怖や尊敬の意味を込めた異名に、担任教師から少しの皮肉と冗談、注意を込めた名。

そんな中、龍麻の使う京子の呼び名は、他に使う人を見た事がない。








「判ったらバカな事言ってんじゃねェよ」







ズルズル、ラーメンを啜る音。
そっぽを向いたままの京子をじっと見ていると、その視線を察した訳でもないだろうが、京子が咽た。





そっか。
そうなんだ。


龍麻は思った。


――――――僕、だけ。



それは、他の何より嬉しい言葉。






口元に浮かんだ笑みを抑えられなくて、今だけ、京子が此方を向いていなくて良かったと思う。
あまりに嬉しかったから、顔を見られたら返って京子が怒ってしまうような気がした。

でも、やっぱり嬉しくて嬉しくて。








「京」
「……」
「京」
「…………」







ズルズル、もぐもぐ、ズルズル。

瞬く間に減っていく、京子のラーメン。
餃子もあっという間に平らげられて、京子はコニーにラーメンの二杯目と炒飯を注文した。








「京ってば」
「………」







二杯目のラーメンを受け取って、やはり京子は明後日を向く。
ズルズル、麺を啜る音だけが返って来る。

呼ぶなとも言わない。
それは、呼んでも良いと容認していると言う事。


そんな恋人に、龍麻はほんの少し、悪戯心が沸いたのを感じた。








「京ちゃん」
「ッッッ!!」







ぶほっ、と噎せ返る声―――と言うよりも、音。


ゲホゲホと咳き込む京子に、水の入ったグラスを差し出す。
引っ手繰るようにそれを受け取ると、京子は一気に水を飲み干した。

そして呼吸が落ち着くと、ゆっくりと此方へと振り返り、









「龍麻…テメェ………」








般若のような、という言葉が実に似合う形相で、此方を睨む。
舎弟や常人ならば、震え上がって縮こまるであろう鋭い眼光。

しかし生憎ながら此処にいるのは龍麻であって、彼女のそんな表情も見慣れたものだった。
恐れ戦く様子もなければ、にこやかに微笑んで彼女の眼光を受け止めてしまうのである。








「なんか変だね」







そう思うなら呼ぶなと、剣呑な眼が告げている。

うん、もう呼ばない。
微笑んで、龍麻は箸を置き、京子の頬に顔を近付けた。











「やっぱり僕は、京がいいかな」
「………それで満足しやがれ、バカ龍麻」













ほんのり桜色に染まった頬にキスをすると、すかさず肘が腹を打った。

















八剣、横恋慕編でした。
女体で八京の場合は基本的に紳士がいいなと思ってるんですが、龍京の場合やっぱりこんなポジションです。
でもこの京ちゃんは、なんだかんだで龍麻に惚れてるので、八剣は報われません。ごめん、八剣。
そんでもって、別に京子も八剣が嫌いな訳ではなく、とにかく苦手なのです。それについてはまた今度(オイ)。

折角呼び名変えてるんだからって事で、渾名ネタです。
そういや、龍麻の事“龍麻”って呼ぶのも、京一だけなんだなぁ(多分…)。