痘痕も笑窪、と言う奴だ

























Love is blind

























頬にガーゼ、額に湿布、目尻には薄らとした痣。
それを見つけた瞬間、葵が泣きそうな顔をした。







「……ンな大袈裟な事じゃねェよ」
「そんな事ないわ!」







目を細めて、呆れたように告げる京子に、葵は首を横に振った。

一体何処でどうしたの、と聞いてくる葵に、京子は答えるのが面倒でそっぽを向く。
それは、一つの答えを示しているのと同じ事だった。



答えるのが面倒だと思うのは、今までにも何度かこうした遣り取りを繰り返してきたからである。

心配性の気が強い葵は、親しい人が怪我をしていると、気になって仕方がないらしい。
京子は度々怪我を作って学校にやって来たから、葵は何かと気にして、こうやって声をかけてきた。


怪我の理由は毎度の事、喧嘩である。
チンピラ相手だったり、他校の不良生徒であったり、とにかく色んな場所で色んな連中と京子は喧嘩をする。
“歌舞伎町の用心棒”の異名は、畏怖の対象でありながら、同時に恨み辛みを買う名なのだ。
京子にその気があるないに関わらず、喧嘩を売ってくる連中は後を絶たない。

総じてそうした輩は、京子自身の手によって返り討ちに遭うのだが、京子が負傷する事も少なくはない。
京子が男顔負けの腕を持っているとは言え、複数でかかって来られれば梃子摺るし、基本的に木刀一本しか武器を持たない京子にとって、相手が飛び道具の類を持っていると更に面倒である。
皮膚ごと制服を切られたり、顔面にメリケンサックをつけた拳を食らうことだってある。
そうなれば当然、受けた傷は痕が残る。


残る傷痕を、京子自身は殆ど気にしない。
それが体であっても、顔であっても。




が、当人が気にしなくとも、周りは気になるもので。







「また派手にやったね、京子。病院行ったの?」
「………行った」






小蒔の言葉に、京子は小さな声で答える。


京子が怪我をした時に向かう病院は、専ら桜ヶ丘中央病院だ。
昔から世話になっている病院の院長は、何処に怪我を作って行こうと、説教もなければ追求もない。
半分は諦めているのもあるのだろうが、京子にとってそれは有り難かった。

……岩山たか子から、一発拳骨を喰らうのは確かだが。



病院に行ったと聞いて、葵はほんの少し安心したような顔をした。
大した傷ではないと京子が自分で思った時、行かない事も多々あるからだ。

なんだってお前がそんなに気にするんだと聞いたら、友達の心配をして悪いの、と返って来る。
その単語にどうもむず痒さを感じる京子は、何も言えなくなってしまう。
だから必要以上の事は喋らないつもりで、京子は机に体を倒して欠伸を漏らす。






「頬はどうしたの?」
「……切った」
「額は?」
「……擦った」
「眼の痣は?」
「………ドジった」






ぽつりぽつりと答えて、京子は眠てェな、と心中で呟いた。

自分の事であるのに、何処までも他人事のような京子の態度。
実際、京子にとっては顔だろうが体だろうが、痣や傷痕なんて然程気にする代物ではなかった。






「切ったって、消えるの?」
「……らしいぜ」






詳しくは知らない。
でも、桜ヶ丘中央病院で診て貰って、傷痕が消えなかった事は殆どない。







「もう! 京子ちゃんッ」
「……あんだよ……」
「なんだじゃないわ!」







京子の態度に、葵が怒ったように声を張り上げた。
珍しい葵の大声にクラスメイト達が此方に眼を向けたが、京子を見て、ああまたかと納得する。
彼らにとっても見慣れるほどに、この遣り取りは繰り返されているのである。








「ケンカするのも怪我を作るのも、これっきりにしてッ」








葵の言葉に、無理だと思うけど、と呟いたのは小蒔だった。
京子自身も同意見だ。

第一、喧嘩は喧嘩で楽しんでいるが、最近は自分から売る事はなくなった。
目ぼしい連中は潰したと言うのが京子の認識である。
それでも京子が喧嘩による生傷を絶やさないのは、




「…ンな事言ったってな。あっちが吹っ掛けて来やがんだよ」
「相手にしないって言う選択肢はないみたいだね……」
「オレだって雑魚の相手なんかしてらんねーよ。けどな、しつこいんだよ、あいつらが」






……総じて、相手側が京子を眼の仇にして襲い掛かってくるからだ。


椅子の背凭れに寄り掛かって言い切る京子に、葵は溜息を吐いて肩を落とす。
それから一拍置いて、葵の眼が他の方向へと向けられた。






「緋勇君」






葵の視線を追って京子が後ろを向けば、其処を定位置にしている緋勇龍麻と眼があった。






「緋勇君も心配じゃない? 京子ちゃん、また怪我して……」
「みたいだね」






葵は、恋人である龍麻なら何か言ってくれるのでは、京子も聞くのでは―――と思ったのだろう。
しかし、肝心な事を見落としている。


京子は龍麻から逐一心配されるのを良しとしないし、増して庇われたりと言う行為を酷く嫌う。
龍麻もそれをよく判っており、怪我を見つけて「大丈夫?」と問うことはあれど、それ以上は何も言わなかった。
今年の春に墨田四天王が真神学園にやって来た時だって、龍麻は京子と揃ってグラウンドに飛び出して、喧嘩を始めた。
守るでも庇うでもなく、揃って迎え撃つ為に。

龍麻の中で京子を止めるという選択肢は、殆ど最初から存在していないのである。







「そんなにしてるの、珍しいね」
「まーな」







ガーゼと湿布、目尻の痣を見て呟く龍麻に、ちょっとドジってよ、と京子は言う。
ふぅん、と龍麻は暫く京子の顔を眺めていたが、ふわりと笑うと、机に出していたノートに落書きを始めた。

そんな龍麻の態度が、また葵の癇癪を買ったらしく、







「緋勇君ッ」
「何? 美里さん」







呼ばれて顔をあげる龍麻は、いつもと変わらぬ表情。
反して、葵は泣きそうな顔だった。






「心配じゃないの? 京子ちゃんの怪我」
「これ位なら大丈夫だよ」
「だって顔なのよ。痕が残ったら」
「残らねえって言ってんだろ」
「もし残ったらどうするの!?」
「別に。どうもしねェ」
「残っても僕、京の事好きだから大丈夫。怪我してる顔も嫌いじゃないし。全部京だから」






きっぱりと言い切る京子と、にっこり笑んで言う龍麻に、葵は言葉が詰まったようで、京子を睨む。
そんな葵を宥めるように、小蒔が葵の両肩を叩いた。






「駄目だって、葵。京子にボクらの理屈は通らないから」
「だって、小蒔……」






くぁあと何度目かの欠伸をして、京子はまた机に突っ伏した。
なんか今とんでもねェこと言われなかったか、とこっそり思いつつ。

後ろからは本のページを捲る音が聞こえてくる。


何処までも気に留めない態度を崩さない二人に、葵もまた何度目か知れない溜息を吐いた。




































真神学園3-Bの授業が途中中断される事は、数は多くはないけれども、珍しいことではなかった。
その要因の第一は、校内有数の不良生徒であり、“歌舞伎町の用心棒”の異名を持つ蓬莱寺京子の存在である。



校門の方から何やら煩い声が聞こえて、京子は顔を上げた。
聞こえた声が記憶の深遠に沈みかけていたものと酷似している事に気付いたからだ。

そうすると教卓の方からパキリと小さな音。
英語教師、マリア・アルカードの手の中の白チョークが割れた音であった。










「蓬莱寺ィィィィィイイイイ!!!!!」
「出て来いや、このアマァ!!」








いつかの舎弟の襲来を思わせるような声。
あれよりも幾らか野太く威圧的であったが、京子はその点はどうでも良かった。


椅子に寄り掛かったままでグラウンドを見ると、総勢10人程の男達が手に手に凶器を持って立っている。






「多いね」






後ろから龍麻の声がした。
そうだな、と他人事のように京子は呟く。

木刀片手に立ち上がると、同じく龍麻も立ち上がり、窓の枠に手をかけた。







「京子ちゃん!」







咎めるような声は、振り返るまでもなく、葵のものであると察しがついた。
肩越しに振り返ると、やはり泣きそうな顔が其処にある。

彼女なりに自分の事を心配してくれている事は、むず痒いけれども、理解しているつもりだ。
だが売られた喧嘩から逃げるのは京子の意に反するし、向こうも諦める事はないだろう。


見つめる葵の視線から眼を逸らして、京子は窓枠を蹴った。
龍麻が続く。








「こら、アンタ達!!」
「京子ちゃん、緋勇君!」







マリアの声と葵の声が響いたが、二人は既に地面に降りていた。



頬の傷がぴりりと引き攣ったような気がした。
痛みはない、けれどもやられた傷は倍返しにする。

殺る気満々と言わんばかりに獲物を無作為に振り回す男達は、此方をじっと睨み付けている。
数人の視線が龍麻へと向けられ、「アイツはなんだ?」と言う色を浮かべていたが、答えてやる気はない。



一人の男が前に進み出た。
その顔は包帯に覆われ、右手の鉄パイプもガムテープで固定されている形だ。
しばらく考えてから、京子はその男が昨日自分に喧嘩を吹っ掛けてきた男だと思い出す。

他にも見覚えのある顔は、全体の半分。
5人で敵わなかったから、倍にしてお礼参りに来たという手段に、彼等の単純な思考を返って哀れんだ。
数にものを言わせれば勝てると思われているのが癪に障る。
昨日も確か、京子が女である事を随分と莫迦にして舐め切ってくれたように思う。


もう少しボコっとくんだったな。


物騒な事を考えつつ、京子は一歩踏み出した。
それと並んで、龍麻も。







「半分だ」
「うん、いいけど」






けど、と言う言葉に龍麻に眼を向ける。








「京子の顔に怪我させたのって、誰?」








眠そうにも見える表情。
その瞳の奥に、自分以上に物騒な気配を感じて、京子はあーあ、と内心目の前の男達に同情した。







「右端と左端だったか」
「そう」






右端の鉄バットを持った男には、額の擦り傷。
左端のメリケンサックを持った男には、目尻の痣。

正面のリーダーの男に頬の傷をやられた事は黙っておいた。
喧嘩を吹っ掛けてきたのはあの男だから、奴には京子直々に叩きのめしてやらなければ自身の気が済まない。


昨日と同じ面子は自分が担当して、他を龍麻に任せようかと思っていた京子だったが、両端の二人は除外する事にした。














乱闘開始直後、二人の男が綺麗に孤を描いて跳んで行くのを、京子は見なかった。
















顔に傷作っても気にしない京子、気に留めない龍麻。寧ろそれも好きだと言い切る龍麻。
でも怪我させた相手には腹が立つ龍麻(笑)。

やっぱり女の子が顔に傷作ってたら(しかも頻繁に)、葵は黙ってないんじゃないだろうかと。
それも転んだ云々じゃなく、チンピラとの喧嘩でとか言ったら尚更。
♀京の葵は、京子にもう少し女の子らしくして欲しいと思っているのです。スカートで胡坐したら多分怒る。でも京子は聞かないと思う(笑)。