篝火 : 第五節












「なんでも、この町は“天の塔”に一番近い場所にあるんだって」









“天の塔”が何処に存在するのか、明確な場所は判らない。
だが天よりも高く聳える塔の影の目撃談が多いのは、専らこの町であった。

信仰心か、好奇心か、その影の正体を確かめんと塔を探し回った者は嘗て多くいたが、結局、それは見つからなかった。
しかし探している間に不思議な体験をする者は多く―――――森の中で迷った旅人が子供に案内されて町に戻り、礼を言おうとしたら子供は忽然と消えて二度と見付からなかったり、その子供に無礼を働けば、翌日にはその無礼を働いた人物は廃人同然と化していたり。
十数年前に子供に出会った人物が、稀にもう一度再会した時には、子供は昔のまま幼い姿で、家無しの座敷童子だろうかなんて話もあった。
その内、子供が“天の塔”に向かって帰っていくような素振りを見せている事に気付き、“天の塔”の座敷童子ではないかと誰かが言い始め、それは次第に広まり、“天の塔”の存在を印象付けたものとなった。


一番最初に“天の塔”と座敷童子を見たのが一体どれ程前になるのか、それは誰も知らない。

ある人は曾祖母に聞いたと言い、その曾祖母はそのまた曾祖母から聞いたと言い、その曾祖母の曾祖母はそのまた曾祖母から聞いたと言う。
ある人が座敷童子に出会って体験を曽祖父に語れば、その曽祖父も出逢ったと言い、そのまた曽祖父も出逢ったと話していたと聞く。
100年や200年ではない歳月の中、“天の塔”と座敷童子はこの町の近くに存在しているのである。




その長い長い歳月の中で、座敷童子の容姿も少しずつ変化していった。
男子か女子か判らない程であった年の頃から、徐々に成長し、やがて少女や少年になった。


その頃になると、町の周辺だけでなく、町中でもその少年少女を見るようになった。
少年は二人、少女は一人で、少女は時々一人で町にやって来るようになった。
少年二人は、大抵が少女について来ている形だった。

少年少女が町に降りてくるのは、町が何某かの祭りの日で、その時は傍らに大人の姿もあったと言う。
大人は少年少女のお守をしているようだった。





祭りの度に子供達が顔を出し、空は青く澄んで晴れ渡り、夜になれば星々が鮮やかに煌いて月が降る。
子供達が太陽と月を運んで来てくれているような、そんな気さえした。





子供達は、“天の塔”に住む座敷童子だと言われていた。
ならば、その子供達は神の使いだとも言われた。


“天の塔”は、“天への階段”だと大昔は伝えられていた。
空の遠くには神の住まう世界があり、“天の塔”は其処と地上とを行き来するための架け橋であると。
故にどれだけ探しても人が辿り着くことは出来ず、神の力によって隠されているのだと。

信仰心の厚いものには影が見え、逆に全く信仰心のない者や、邪心渦巻く人間はその影さえも見つけられなかった。
それは神が“天の塔”に住む座敷童子を悪用されない為に、結界を張ったのだと言われている。


だから、祭りの時でも、どんな時でも、子供達を無碍にしては行けない。


―――――とは言え人々が戦々恐々する事はなく、子供達の無邪気な笑顔は人々を確かに幸せにした。
毎年の祭りが盛況なのも、雨天に見舞われないのも、この神の子達のお陰であると思っていた。
ならば感謝に飴玉一つ捧げこそすれ、恐れ慄く事はなかったのだ。

もとより、この町は“天の塔”に最も近いと呼びなわされる事もあってか、信仰心が厚い。
そして座敷童子の存在も長く長く言い伝えられ、町の人々にとっては随分身近なものだった。
町の大人の中には、「子供の頃に座敷童子と喧嘩した」なんて話をする者もいる程で、それによって特に天罰などはなかったと言う。
座敷童子の傍にいた大人も止めることなく、子供同士の喧嘩を笑って眺めていた程だ。
まるで隣人のような気安さであった。





数百年の間、この町は神の子と呼ばれる座敷童子達と共に生きてきた。
時に国が割れるような天災に見舞われても、不思議とこの町は生き残ってきた。
信仰心の厚い人々は、これはきっと神様が近くで見ているからだと感じていた。


人々は“天の塔”の存在を信じ、崇め、感謝の心を忘れまいと心に決めた。

神の国へと続く“天の塔”が近くに存在し、其処に住まう座敷童子達が気紛れに遊びにやって来る地として。
“天の塔”――――――神の国に最も近い町として。




やがて町の人々は、唄を作った。
子孫に伝えて行く為に。







「――――それが、あの童唄なの。此処が発祥なのよ」
「ふぅん」
「意味をわかってる子は、もう殆どいないと思うけど」







“お天道さん”は、既に失われた太陽。
“お月さん”は今は気紛れに昇る月だ。


子供達は、“お月さん”はともかく、“お天道さん”がどんなものであるのか判らない。
今の子供達は空が夜である事は当たり前で、太陽が存在しないのも当然だった。
寧ろ、太陽というものが存在していた事さえも知らないのだ。

曾祖父母から聞いている子供は、今の代で一体何人いるだろうか。
あの子供達の親でさえ、太陽の存在を知らない者ばかりなのに。







「あたしも唄は知ってるし、意味も教えてもらったけど、やっぱり“お天道さん”がどんなものかは判らないわ」







百聞は一見に如かずと言うのだろうか。
何度昔話を聞いてみても、今の子供達は、太陽がどんなものであったかやはり判らない。
こんなものかなとぼんやりした想像が精々で、それが正解であるか田舎も判らない。







「聞いていい?」
「何?」
「あの唄は、座敷童子の子供達を歌った唄なんだよね。でも、子供の事は言っていない気がするんだけど」
「ううん、ちゃんと言ってるの。“お天道さん”と“お月さん”が子供達を示してるんだって」







祭りの日にやって来る子供達は、必ず晴れた空、太陽と星々と月を運んできた。
特に、少女が姿を見せる時は、束の間であっても必ず空が晴れていて、少女は太陽を運んでくるのだと言われていた。


“お天道さん”は少女を示し、“お月さん”は二人の少年を示していた。
少年達はいつも少女を中心に置いて、月が回るようにその周りをくるくるしていた。




“遠いお空の 天の国
お空の近く 天の国”

“空の階段 空の道
まんまるお天道 天まで昇れ
満ち欠けお月 お空に帰ろう”


―――これは“天の塔”、“天への階段”を使って、子供達が親のいる“天の国”――――神の住まう国へ帰ることを示している。
放って置いたらいつまでも人の国で遊んでいる子供達を、親が心配するから家へ帰りましょうと促すのだ。

見送るだけでなく、促すと言う伝えが、町の人々にとって子供達が身近であり、自分達の子供とそう代わらない存在である事を表していた。



“明日になったら またおいで
お手て繋いで また遊ぼう”


―――帰るのを渋る子供に、明日になったら来て良いよと諭している。
鬼ごっこでも、花一匁でも、かごめかごめでも、明日になったら遊べるよと。







「“お天道さん”と“お月さん”は、子供達であって、同時に空の太陽と月でもあるの。
祭りの夜まで遊んでいる子供達を、月が空の向こうに還って、太陽が昇ってお祭りが終わるから、それに合わせてお家に帰りなさいって言ってるんだって。
太陽が昇ってきたから、太陽をいつも運んで来る女の子は家に帰って太陽のお手伝いをして、男の子は月にお疲れ様を言いに帰るんだって。
一日遊んだら、子供達は次の日続けて遊びに来ないんだけど、それはお休みした分のお手伝いがあるからなのよ」






ひょっとしたら、お祭りの日は、親からの子供達へのご褒美だったのかも知れない。
一所懸命お手伝いをしたから、丸々一日、人の国で遊んできて良いよと。







「唄い繋げて、子供達のことを忘れないように、その子供達の親―――神様がいることを忘れないようにって、昔の人はそう願って作ったんだと思う」
「そうだね。唄は人と人が繋げるものだから」
「小さい頃は意味が判らなくても、大人になって誰かから聞いたら、そういう唄だったんだなって判るしね」







文書では子供達は飽きてしまうし、言って聞かせるだけでは寝てしまう。
だけど、唄なら遊びの中で伝わるし、子供の頃に唄っていれば記憶の中に残っている。

そうして、この町の信仰は長い間続いているのだ。



――――けれど、







「でもねー……さっきも言ったんだけど。“お月さん”は判るけど、やっぱり“お天道さん”は判らないのよね」
「判らない?」
「“太陽みたいな子供”って言われてもね。想像できないのよ」







知らないものから連想するのは難しい。
太陽の明確な姿を覚えている者も、もう殆どいない。
太陽が失われた時に赤子であった人物も、もう齢の百を越しているだろう。


唄は残る。
けれども、唄が伝えたいと思ったものが、この世界には今存在していない。

太陽のような子供とは、一体どんなものだったのか。
今も空に昇る月とは違うのか。
きらきらと伝えられているけれど、それはどんな光なのか。


――――――最早、曖昧なイメージ程度しか、人々の記憶には残っていないのだ。








「この唄に伝えられる子供達がいたのかも、最近は疑ってる人も少なくないし」








太陽が失われて尚、歌い継がれてきた童唄。
しかし、行商人や旅人から口伝で広がった筈の唄は、いつしかこの町を残して廃れてしまった。

既に姿の見えない神を信仰する者は確実に減って行き、この町で唄い継ごうとしている人も残り僅かだ。
今の子供達が大人になった頃、果たして唄い継がれているだろうか。
子供達の親の世代でさえ、少しずつ薄れ始めていると言うのに。







「今唄っている子達の内、何人が大人になってもこの唄を覚えていられるかしら。教えてくれたおじいさんやおばあさんがいなくなって、段々伝える意義も失われて来て……それでも、唄は伝わるかしら」







例えば石碑に彫ったとしても、それは手入れされなければ何時かは風化して砂になる。
人々が忘れてしまえば、もうそれは存在する事が出来ないのだ。
……“人”が作り出したものだから。







「形のある物は、いつか何かの形で壊れることもあるわ。あたしが刷った瓦版だって、火にくべたら燃えて灰になっちゃう。運がよければ墨が何かの形でまた使われることになるかも知れないけど、その時に燃えた瓦版は、二度と戻って来ないわ」







あの童唄も、いつか失われて、忘れ去られてしまうかも知れない。
そして存在していた事さえも忘れられたら、伝えられる事もなくなったら。

唄は二度と、人々の心に還って来ないかも知れない。


“天の塔”、神の国に最も近いと言われるこの町でさえ、徐々に人々の心から信仰心は薄れつつある。
太陽が世界から忘れられつつあるように。







「小豆洗いや河童や、鬼火なんかは年々数が増えてるんだけどね。神様の話は聞かなくなったわ。お祭りの日に雨が降る事もあったし、飢饉や天災も増えたって大人達は言ってる。もう神様はいないんじゃないかって誰かが言ってた」







太陽を運んでくる子供の姿が見られなくなり、祭りの日に酷い豪雨に見舞われた年もあった。
雨でぬかるんだ土が崩れて、畑も建物も人も呑み込んで、一時は壊滅状態にもなった。
絶望した大人達を励ます光はなく、町の子供達は親を失って泣きじゃくった。

今まで神の加護に守られていた町にとって、それは過酷な日々だった。
なんとか復興してもまた雨に見舞われたり、山上の川が氾濫して洪水になったり―――――太陽が失われた日を境に、町はありとあらゆる災厄に見舞われた。


“天の塔”は今も影を見ることがある。
けれども、其処に住んでいた筈の座敷童子の子供達は、もう町へ降りて来なくなってしまった。




太陽の失われた世界で、人々は必至に生きた。
必至に生きていく内に、見えない光を望む事を諦め、目の前の現実だけを追い駆けるようになった。
祈る暇があるのなら、材木を切って運び、雨露を凌げる家を建てる方がよっぽど効率的だった。


災厄の時代の只中を生きた人々は、童唄など歌えなかった。
その中で、唄は少しずつ衰退を始めた。

今でこそ唄われ続けているのは、“天の塔”の影が今も見られるからだろう。
忘れ形見や思い出のように唄われているのだ。







「町の外れに、太陽の神様を祀ってるって言うお堂があるんだけど、それも皆知らないんだって」
「アン子さんは、どうしてそれを知ってるの?」
「唄の事を調べてた時期があってね。其処から、所謂芋蔓式よ。人伝いに色んな話を聞いて行く内に、お堂の事とか、座敷童子の事とか聞いてたの」







その時、話をしてくれた人々も、その当時で随分高齢になっていた。
数年の間に鬼籍に入った人も少なくない。


記憶が消えて行く。
語り継がれる物語が、終わらないまま消えて行く。

そしていつか、存在していたことさえも忘れ去られる日が来る。






―――――――アン子が口を閉ざすと、沈黙が落ちた。






龍麻は、懐に仕舞い込んでいた物を握った。
これが此処に存在していると言う事は、未だ忘れ去られてはいないと言う証になる。

だけれど、あと一年二年遅かったらどうなっていたのか、龍麻にも判らない。



強く強く握り締めると、ほんのりと熱が伝わってくる。
その熱は、嘗て自分の傍らにあったものとよく似ていた。




とん、とん、と跳ねた音が聞こえた。
龍麻が顔を上げると、毬が此方に向かって転がってきていた。
それを子供の一人が追い駆け、釣られて他の子供と、その子供達に手を引かれた京子が近付いて来る。

毬を拾って差し出すと、子供はありがとうと言って笑った。






「龍麻」






京子が名を呼んだ。
彼女の表情は、何処かうきうきと楽しそうで。






「京、楽しい?」
「ん」






頷いて、京子はしゃがみ、子供達と同じ目線の高さになった。
女の子から赤い毬を借りて、遊び始める。


子供達の輪の中、楽しそうに遊ぶ京子を、アン子が見遣る。






「ホント、子供みたいね」
「うん」
「大変なんじゃない? これから……」
「うん」





ふぅわりとした笑みを湛えて崩さない龍麻。
その瞳は、しかと少女に向けられて、逸らされない。






「京子お姉ちゃん、やっぱりヘター」
「…ンだよ、さっきより良いんじゃないのか?」
「いいけど、やっぱりヘタなの」
「ひと、ふた、みー、よ、いつ、む、なな、……だめー」
「十いかないもん」
「うー……」






きゃいきゃいと騒ぐ子供達の真ん中。
囲まれた京子は、子供達の言葉に拗ねたように唇を尖らせる。

昔は直ぐに怒ったのに。
そう思いながら、龍麻はクスクスと笑った。



その傍らで、彼女の持つ色が少しずつ変化しつつある事にも気付いていた。
それは、子供達が京子を呼ぶ度、ほんの僅かに訪れる変化。






「きょうこおねえちゃん、うたってよー」
「オレ、うたなんか知らねェよ」
「ウソだァ。なんか歌ってよ」
「本当に知らねェんだよ」
「じゃあ、さっきの歌」
「……まんまるおてんと?」
「あたしも歌うから、京子お姉ちゃんもー」






お姉ちゃん、京子お姉ちゃん、と。
呼ばれる度に、少しずつ変わって行く、彼女のまとう色。
薄ぼんやりと消えそうだった色彩が、鮮やかに変わって行く。

ヒトには見えない、その変化。


――――――存在している事を知られているから、存在できる、自分達。








きらきら おそらのおてんとさん
さらさら おそらのおつきさま

とおいおそらの てんのくに
おそらのちかく てんのくに

そらのかいだん そらのみち
まんまるおてんと てんまでのぼれ
みちかけおつき おそらにかえろ

あしたになったら またおいで
てってつないで またあそぼ


きらきら おそらのおてんとさん
さらさら おそらのおつきさま ・・・・










どうか、この唄が今しばらくは歌い続けられますように。

……笑う少女が、誰にも知られず消え行く日が、どうかやって来ませんように。












人世 : 第一節
どんどん話のスケールが大きくなってます。
……ついて来て下さる方が何人おられるやら……