事実のようで、言い訳のようで


























The worst day



























「あーッ! 京子、それーッ!」







昇降口で上履きは着替えていた直後、声高に響いた少女の声。

その視線が自分の持っている鞄に向けられているのを見て、京子は一瞬首を傾げた。
それから自分の鞄に目を向けて、其処にあるものを見つけて。



――――――しまった。



胸中に響き渡った言葉は、それであった。




証拠写真と言わんばかりに素早くカメラのシャッターを切る遠野。
そのフラッシュから庇うように、鞄を自分の後ろに隠して、またしまったと思った。
この行動こそ、意味深と言わんばかりではないか。

見逃してくれる程に甘い性格とジャーナリスト根性をしていない遠野は、きらりと眼鏡を光らせる。






「へーえ、京子も自分でゲーセン行く事あるんだァ」
「た、たまにはオレだってそーゆー時もあらァ」






何が可笑しい事があると言い返してやると、遠野は小さく首を横に振る。






「あたし達が誘ったって、殆ど一緒に行った事ないじゃない」
「…お前等がやんのは、どうせプリクラだろ……興味ねェよ」
「他のゲームしてればいいって言っても聞かないのに、なんの気紛れ〜?」





カメラのレンズを向けて問う遠野に、京子は判り易く眉を顰める。



遠野が発見したのは、京子の鞄の持ち手に付けられているキーホルダー。
自分自身のアクセサリーなんてものに興味もなければ、身の回りの小物にだって興味を持たない京子である。
そんな彼女が、ささやかであろうと、こんなものを持っているなんて、彼女と言う人物を知っている人間にすれば大事件だ。
遠野に言わせて貰えば、そんな勢いだった。

更に、金銭面に置いては決して裕福ではない京子は、必要以上に出費する事を拒む。
一日の食事代、怪我をした時の治療費(それもバカにならないので、行かない事も多い)、勉強に必須の筆記用具――――下着類でさえ多くは持っていない京子である。
他は自分が余程気になったものでなければ手を出す事はない。


故に、ゲームセンターなんてものには滅多に足を運ぶ事がない。
行っても遊ぶ事はなく、専らプリクラで遊ぶ他メンバーの荷物持ちと、寄って来る鬱陶しい虫を蹴散らす用心棒的役割だ。

下手にゲームに手を出せば、彼女の性格上、上手く行かなければリベンジ目指して繰り返し挑戦するだろう。
彼女もそれを自覚しているから、下手な出費をしない為に、その場所自体に赴く事が格段に少なかった。



そんな彼女が、ゲームセンターのクレーンゲームの賞品を持っている。

鞄に取り付けられた小さなキーホルダー。
それがプライズゲームの賞品であるか否かは、遠野の情報網を持ってすれば然程の疑問ではないのだ。





面倒なのに見付かった。



京子がそう思ったのも無理はない。
絶対に白状するまで付き纏って来る―――――そう、今既に。







「ねぇねぇ、なんで〜? 自分で取ったの?」
「……他に何があんだよ」
「誰かに取って貰ったとか。緋勇君とか?」
「僕は知らないよ」







聞こえた声に振り向けば、緋勇龍麻が上履き片手に立っていた。
彼の視線も、京子の鞄の持ち手に注がれている。

つくづく後悔する、どうしてさっさと取り払ってしまわなかったのかと。



これを手に入れたのは、昨日の夕方の事。
いつものラーメン屋で夕飯の予定だったが、時間に余裕があって街中を歩き回っていた。
その間に、偶然、全くの偶然で、これを手にする事になった。


何年も前に見ていたヒーロー番組の、お気に入りだったキャラクターのキーホルダー。
幼い頃に欲しがっていた事もあって、経緯はともかく、手に入った傍から捨てる気にはならなくて、鞄に取り付けた。

それからラーメンを食べに行っている間は、京子にとっては幸いな事に、誰も気付くことはなかった。
『女優』に帰ってからも誰一人訊ねて来る事はなく、一晩開ければ、京子もすっかりその存在を記憶から抹消していた。
中身の薄い鞄の中身を一々チェックする事はなく、鞄を改めて見るような事もしなかった。
お陰で今の今まで、自分が取り付けた筈であるソレを、綺麗サッパリ忘れていたのである。


………見付かれば、絶対に何かしら突っ込んでくるだろうと思っていたのに(特に遠野が!)。






「京もそういうの好きなんだ」
「違ェよ! こりゃ、その…なんだ、別にッ」
「ね、誰? 誰から? 緋勇君じゃないなら、吾妻橋とか?」






龍麻の言葉を否定しようとしている間に、遠野はそれともアイツ? それとも…と勝手に憶測を立てている。
その連ねる名前の中に、滅多に話をしないようなクラスメイトまで挙げられるのは何故だろうか。






「こりゃただの気紛れだッ! で、たまたま取れたんでェ!」
「京、クレーンゲームとかって上手いの?」
「だから偶然だ!」






怒号に近い大声で言い切ると、京子は踵を返して走った。
通り掛かったマリアから注意が跳んだが、すんませんとだけ言って、やっぱり走って逃げたのだった。



































下駄箱からダッシュで離れた後、京子はしばらく、屋上にいた。


キーホルダーの事も、逃げた形になった事も、尽く自分らしくなくて、腹が立つわ恥ずかしいわ。
踏んだり蹴ったりと言う言葉がよく似合う気分になって、京子は落ち着くまで其処にいた。

吹き曝しの屋上の風は、冬である事に通例に漏れず、冷たかった。
その冷たさは心なしか火照った頬を冷ましてくれた。




幾らか内心が落ち着いてから、京子は鞄に取り付けていたキーホルダーを見た。








(こいつの所為で)







しなくても良い、恥ずかしい思いをしたんだと。
半ば八つ当たりである事は理解していたつもりだったが、そう思わないとやっていられない気分だったのだ。


乱暴な手付きでキーホルダーを外すと、強く握って立ち上がる。
フェンスの向こうへと腕を振り被りかけて。















『あげるよ、記念に』















浮かんだ笑顔に、腕が止まった。



イタズラが成功したような、そんな顔。

ほんの少し口端を挙げて、目尻を心持ち下げて。
見下ろしてくる、端整な顔。


ムカついてムカついて仕方がなかった、男の顔。








(……なんで思い出してんだよ)






離れそうで離れていかなかった、手の中の小さな人形。
京子の肩と力を持ってすれば、きっと綺麗な放物線を描いて、遠く飛んで行くだろう。

ゲームセンターの賞品なんて、あちこちに有り触れていて、持っている者も沢山いる。
街の中にぽつんと落ちた小さなキーホルダーなんて、誰も気に留める事はないだろう。
京子が放り投げたものだとも思わなければ、京子のものであったと言う事すらも。


後で探そうと思っても、同じ物が再び手の中に戻って来る事は、きっとない。




欲しかった。
子供の頃に。
ずっとずっと小さな頃に。

その時は賞品にすらなっていなかった、このキャラクター。
見つけた時には柄にもなく嬉しくなって、はしゃいでしまった――――よりにもよって、あの男の前で。


手に入れた事は、京子にとって今更の話だった。
欲しいと思ったのは何年も前の事なのだから……確かに懐かしくはあったけれど。








(……勿体ねェから)








手の中の人形を見下ろす。

其処にあるのは、小さな小さな怪人。
幼い頃に憧れた、敵でありながらヒーローのような奴。


欲しくなんてない。
ただ、一度は手に入れたんだし、捨ててしまうのは惜しい。
そうだこれは単なるの貧乏性なんだと。

ゲームセンターのUFOキャッチャーだってタダではない、一回プレイするのに100円かかる。
そういう訳だから、このキーホルダーにも100円はかかっている訳で。
嘘でも金銭的に余裕があるなんて言える生活ではないから、勿体無いと思ったって不自然ではない筈で。



ちらちらと脳裏を過ぎる男の顔を、頭を振って追い出した。






鞄を開けて、その中にキーホルダーを突っ込んだ。
もう一度取り付けるという行為は、頭に浮かぶことはなかった。





チャイムが鳴る。
HRの終了に、丁度良かったと京子は立ち上がった。

一時間目の授業はなんだったか。
しばらく考えてから、結局思い出せず、取り敢えず校内へ戻ろうと足を動かしたところで、屋上の扉が開いた。







「ほら、やっぱり此処にいた」
「………アン子……」






顔を見せたのは、遠野。
HRが終わって一番に此処に来たのだろう。

朝の遣り取りを思い出して顔を顰めていると、後ろからぞろぞろと見慣れた面々も現れた。
龍麻、葵、小蒔、醍醐と、いつものメンバーが揃う。


龍麻と遠野の視線がちらりと京子の鞄に向けられたが、直ぐに京子へと戻される。
一瞬予想した、遠野からの「キーホルダーは?」と言う質問は、向けられる事はなかった。
……遠野は不思議そうな顔をしていたけれど。




小蒔がそうそう、と切り出す。






「京子、一時間目の授業、自習になったよ」
「あ?」
「科学の先生、胃潰瘍起こしたんだってさ」
「……ふーん」






気のない返事をして、そうか科学だったかと今更のように思い出す。


自習と聞けば、授業に出る気も沸かない京子だ。
自習でなくても、科学であると思い出したら、一気にやる気を失くしていたと思われるが。

フェンスに寄り掛かった京子の隣に、龍麻が立つ。
京子の正面には小蒔がいて、その右隣に醍醐が並び、龍麻と向き合う形で葵が立っていた。
遠野は葵の左隣に立っていて、メモ帳に何かを書いている。
恐らく、来週の校内新聞は科学教師についてか、それら教師に関わる特集になるだろう。







「大変ね、胃潰瘍なんて……」
「ストレス溜まってんだねェ」
「蓬莱寺が授業に出れば、少しはストレスもなくなるんじゃないか?」
「…なんでオレだよ」






引き合いに出されて京子が顔を顰めると、醍醐ではなく、龍麻が笑って、





「だってあの先生、京がいないっていつも怒ってたよ」
「ンなモン知るかよ」






ばっさりと言い切る京子に、龍麻は葵と顔を見合わせ、眉尻を下げる。
せめて単位は落とさないようにねと言う葵は、最初の頃に比べて随分融通が利くようになったと、京子はぼんやり思った。
以前は学校帰りの買い食いに良い顔をしなかった彼女が、近頃は進んで馴染みのラーメン屋に行く事もあるのだ。

それから、ふっと思い出す。
一週間前にラーメン屋に言った時、手持ちが足りなくて(コニーにはツケで良いと言われたのだが)、その分を葵が支払った。







「おい、葵」
「うん?」
「この間のラーメン代、返しとくぜ」






ポケットに手を突っ込んで、小銭を探る。


京子は殆ど財布を持ち歩かない。
最初から出費の予定がない限り、その日一日で必要になるだろうと思うだけの分しか、持っていなかった。

今日も財布代わりのポケットの中身は、朝の登校中に買った今日の昼食分の小銭が詰まっていた。



手探りで百円玉を二枚捕まえて、取り出す。






と。








「蓬莱寺、何か落ちたぞ」







醍醐に言われて、足元を見る。
反射だったのだろう、龍麻達もその視線の先を追い駆けた。


其処には。













「―――――――――-!!!!!」













あっと言う間。
いや、そんな時間すら与えずに。

電光石火の素早さで、京子はそれを掴んで拾った。



しかし。







「えーッ! 何何何、何今のッ! 京子!!」
「なんでもねェッ!!」
「なんでもないなら見せてよ〜!」
「絶対ェ嫌だ!!!」







目敏く見つけたのは遠野だった。
その眼鏡は伊達じゃないかと思う。







「何? なんなの、アン子?」
「プリクラよ、プリクラ! 京子がプリクラ撮ってたのよ!」
「京子ちゃんが?」
「それも、誰かと一緒に!」







遠野の言葉に、葵と小蒔の視線が京子へと突き刺さる。



落ちたプリクラに誰が映っていたのか、其処までは見えなかったようだ。
それは京子にとって不幸中の幸いだったと言って良い。

だが、“誰か”と一緒に撮ったと言うのはバレた。


プリクラ機にさえ滅多に入ろうとしない京子が、一体誰とプリクラを撮ったのか。
朝と全く同じ眼で、興味津々という顔で近付いて来る遠野から、京子は殆ど無意識に後ずさった。






あの時、向けられる視線なんて気にせずに、さっさとゴミ箱に捨ててしまえば良かった。
ポケットに突っ込んだりなんかするから、そのまま存在を忘れてしまったのだ。

やっぱり今日は最悪の日だ、心の中でそう叫ぶ。

















更なる追求が来る前に、京子は寄り掛かっていたフェンスを乗り越えて。


止める声など聞く筈もなく、屋上からグラウンドへと飛び降りたのだった。


















【One step of start】の翌日の話。
八剣×京子のネタを纏めてたら、くっつくまでの連載な感じになりました。
さーて、この二人は果たしてくっつけるのかなー(笑)。