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「うっめェ!」






これでもかと言うほど喜色満面で、京子は破顔した。
そんな笑顔を見たのは随分と久しぶりで、八剣は目を細めてその様子を見詰めていた。



少し大きめのサイズのメンズシャツとジーンズ、散々履き古したと判るくたびれたスニーカー。
項を隠す程度の長さの髪を、無理やりアップにして、中ほどの高さで飾り気のない黒いゴムで留めている少女。
カウンター席で夢中になってラーメンを啜るのは、間違いなく京子だ。


口の周りに跳んだ汁は、舌で舐め取るか、手の甲で拭ってしまうかのどちらか。
大きな叉焼を、年頃の女の子のように恥ずかしがる事もせず、大きく口を開けて豪快に食む。

美味しそうにラーメンを食べる少女の姿は、一見厳つい面立ちをした店の主人にも気に入られたようで、






「よく食うなァ、嬢ちゃん。ほれ、替え玉サービスだ」
「マジかよ。サンキュー!」






スープも綺麗に飲み干して、空になった丼をカウンターに置き、代わりに二杯目を受け取る。
更には主人と並んで調理を行っていた妻から、餃子もサービスされた。



八剣の車でスタジオからこの店―――巣鴨に着くまで、京子は何も食べなかった。
道中で終始無言の車内は、コンビニに寄ろうと思うんだけど、と言う八剣の言葉さえ封じ込めてしまっていた。

だから、これは彼女にとっても八剣にとっても、遅めの昼食になる。


しかしそれを差し引いても、此処のラーメンは美味い。

八剣は京子程にラーメンに拘りがある訳でもないが、彼女が好きなだけに機嫌取りにラーメン店に連れて行くことを覚えてからは、あちこちのラーメン屋に立ち寄るようになった。
その中でも、この店のラーメンは味が濃厚で、濃い味を好む京子には最高の出来のようだ。
八剣はもう少し薄味の方が好みなのだが、優先すべきは京子であるので、とやかく言うつもりはない。
そんな八剣でもこの店は良い、と思うほどに二人の評価は高ランクだった。



遅くなった食事への欲求と、雑誌に載っていた期待も合さって、京子の勢いは止まらない。
周りの事など毛ほども気に留めず、美味い美味いと舌鼓を打っている。


箸を止めてそんな彼女をただ眺めている八剣に、主人が気付いた。






「兄さんも食ってくれよ。折角の麺が延びちゃ台無しだ」
「ああ、そうだね」
「チンタラしてっとオレが食うぞ」






餃子を口に運びながら言った京子に、別に構わないよ、と八剣は言った。
それを見た主人がニヤニヤと笑う。






「お二人さんはアレか? やっぱ、彼氏彼女の仲か」
「ぶッ」






顎に手を当てて、「見破った!」とでも言うような目で言う主人に、京子が飲んでいたスープを噴出しかける。
どうにか堪えたものの、飲み込んだ際に違う気管に入ったようで、ゲホゲホと咽返る。

咳が落ち着くと、冗談じゃねェ、と京子が顔を上げて主人を睨んだ。






「なんでこんなのと付き合わなきゃなんねーんだよ!」
「ん? そうか? お似合いだと思うがなァ」
「それはどうも」
「ぐあぁあああ!! 寒い! 止めろ!!」






本気で鳥肌を立てて叫ぶ京子に、其処まで嫌がるかなァと八剣は今日何度目かに眉尻を下げる。






「こんな軟派野郎、絶対ェ願い下げだッ」
「軟派な事はしてないよ」
「したじゃねーか。最初に」
「あれは違うよ」
「似たようなもんだろ」






最初に逢った時、つまり八剣が京子をスカウトした時だ。
あれをキャッチセールスの類と見られるのは無理もないとは思うが、ナンパと言われるとは、心外だ。

しかしこの言には京子の悪気はない訳で、京子も半分は冗談だろう。
だから八剣はいつも眉尻を下げるだけで、怒る事もしない。






「ほうほう。つまり、兄ちゃんから嬢ちゃんに先に声かけたと」
「それは間違ってはいないね」
「でも付き合ってねーぞ」
「へいへい。そういう事にしとくよ」






照れちゃってまぁ、と呟くのが聞こえて、それは主人の妻からだった。
京子がじろりとそれを睨むが、妻は気付いているのかいないのか、あたしも若い頃は……と回想を始めている。
何を言っても聞こえないと判断して、京子は大きな溜息を吐いて、またラーメンに口をつけた。

それから京子は、ラーメンを食べ終わるまで終始無言を貫いた。
それは、ラーメンに夢中になっていたのもあるし、八剣と主人の会話に割り込むのが面倒だったのかも知れない。


八剣のラーメンがようやく半分程に減ってきた所で、主人は京子を見ながら、






「しかし、嬢ちゃん、なんかどっかで見た事あンなァ」
「ああ、よく言われるね」






しげしげと京子を眺めて呟いた主人に、八剣はメンマを口に運びながら肯定した。






「なんだ、有名人か? 生憎、俺は詳しくねェんだがな」
「ああ、あたしも見た事あるよ。なんだっけね、若い子達がよく読んでる雑誌だったかな」






回想を終えた妻がそう言うと、厨房を抜けてカウンター席の横にある小さな本棚へ。
取り出されたのは、三ヶ月前に発行された若者向けのファッション雑誌だった。
あまり読まれた跡が見られないのは、此処が“おばあちゃんの原宿”と呼びなわされる巣鴨と言う地だからだろうか。


渋谷や原宿が若者が集まる街なら、此処は高齢者が多く集まる場所だ。
そんな場所に構えている店だから、客も殆どが高齢者で、若者が来るようになったのは、店が雑誌に取り上げられてからだと言う。

店の近くのパーキングに車を停めてから此処に来るまでの間、若者の姿は殆ど見られなかった。
平日の昼間だと言う事もあって、土日よりも人は疎らであったと言って良い。
擦れ違う人々も皆、一見して五十代を上回っており、移動中帽子を目深に被っていた京子に気付く人はいなかった。
店に入ってからも、客はテーブル席に五十代から六十代程の男性ががちらほらといる程度で、寧ろ若い京子と八剣の方が浮いている位だ。

そんな訳だから、京子が帽子を取って素顔を晒しても、誰も見向きもしない。
仮に誰かが気付いたとしても、場所が場所だし、イメージと不似合いで他人の空似と思われるのが精々だ。


―――――こんな風に。






「ああ、そうだね。似てるってよく言われるんだよ」
「うん、似てる似てる。ほら、並べて御覧よ、ビックリするくらいソックリでね」






妻が雑誌を京子の席の隣に置く。
柔らかな笑みを浮かべて、タンポポの花を差し出す京子が表紙を飾っていた。

京子はちらりとそれを見たが、直ぐにラーメンへと視線を戻す。






「本人だって言っても通るんじゃないかい? それにアンタ、その子の事、京ちゃんって呼んでるね。確かその表紙の子の名前、京子って言ったねェ」
「ああ。だからややこしくてね。顔が似ていて、名前も同じ。お陰で勘違いされる事が多くて」
「そりゃあ大変だなァ。性格は全然違うみてェなのに」






先程の京子の言動を見ていた主人と妻は、京子の苦労を察するように苦笑いを浮かべる。







「雑誌の子は、大人しい子らしいねェ。これと勘違いされちゃ、溜まったもんじゃないね、アンタは」
「むぐ」






丁度麺を口に含んだ所だった京子の頭を、妻がくしゃくしゃと撫でる。
それを八剣がすると彼女は直ぐに振り払うのだが、今はラーメンのお陰で上機嫌なのだろう、甘受していた。









それから京子がラーメンを食べ終わるまで、十分弱。

八剣は、無心で麺を食べる京子を柔らかい笑みを見詰めて眺め、思う。
やっぱり今日はオフにして良かったと。





































支払いを終えて店を出る頃には、京子はの機嫌はすっかり良くなっていた。
周囲の目を気にする事もなく、大好きなラーメンを好きなだけ食べて、京子はにこにこと口角が上がりっ放しだ。
膨れた腹を摩る仕草さえ、ご満悦を象徴しているように見える。



暖簾を潜って直ぐにツバの長いキャップ帽を被ると、京子は八剣の前を歩き出した。
両手を頭の後ろで組み、大股で歩く姿は、先ほど見た雑誌の彼女とは程遠い。
機嫌が良い事と、今この場所でなら自分を繕わなくて済むので、気負いもないのだろう。

八剣から見た彼女の今の後姿は、何処にでもいるボーイッシュな女の子だ。
アップにした髪は帽子の中に押し込んでいるので、大きく発達中の胸さえなければ、少年に見えなくもない。


これでも、若者は彼女の顔を見た途端、“京子”だと判るのだ。
そうなると彼女も“京子”を演じなければならなくなる。

全く、何処にどんなセンサーがあるのやら。






「あー、食った食った」






スキップでもしそうな程の上機嫌で、京子は言った。
後ろを歩く八剣を振り返る表情すら、溌剌としていて輝いているように見える。






「さーてと。どうするよ」
「さてね。どうする?」
「食いたいモンは食ったしなァ」






タイルが埋め込まれた地面の、色の違うタイルを飛び石のように渡る京子。
人目を気にしないで良いとあってか、いつもよりもずっと開放的だ。






「本屋でも行こうか」
「別に興味ねェ」
「じゃあCDでも見に行く?」
「それも興味ねェ」






情報は持っておいた方が良いよ、と言いかけて、八剣は止めた。

例えたった半日とは言っても、久しぶりのオフの時間だ。
仕事に関わるような話はしない方が良いだろう。



車を停めたパーキングに向かう為に路地に入る。
其処で、前を歩いていた京子が脚を止めた。






「京ちゃん?」






呼んでも返事がなかったので、隣に並んで京子の顔を覗き込む。
と、その視線から逃れるように、京子は帽子のツバを摘んで俯いた。

京子が見ていたであろう方向へと目を向けると、パーキングの付近に人だかりが出来ている。
カメラマンやメガフォン、レフ板を持った人々の姿が見えて、ドラマかバラエティ番組のロケーションをしているようだった。






「遠回りする?」
「無理だろ。あの駐車場、入り口一個しかなかったじゃねェか」
「ああ……」






目的の店が一番近いと選んだパーキングだったが、思わぬ誤算だ。

これは誰の所為でもないので、京子は溜息を吐いただけで後は口を噤んだが、折角直った機嫌がまた下降線を描いているのは間違いないだろう。
出来ればこの場を離れたいが、離れる為の脚はロケーション現場の向こう側に鎮座している。
近場で京子が時間を潰せそうな店も見当たらず、二人は立ち往生になってしまった。


京子は仕方なく、帽子を目深にして近くにあった電柱に寄りかかる。






「バラエティなら良いけど、ドラマだと車が出せないかな」
「あー、繋がんねェからな。面倒臭ェなァ……」
「休憩に入って車が出せるようなら、俺一人で通りまで出すよ。京ちゃん、路地の出口で待ってて貰えるかな」
「おー」






京子にとって予定外だったとは言え、折角のオフ。
周りの目を気にせずに振る舞えていただけに、業界関係者には極力近付きたくない。
京子はジーンズのポケットから小銭を取り出すと、それを八剣に突き出す。


パーキングの傍には、自動販売機が置いてあった。
だが、またその傍には、スタッフ達が集まっており、京子が不用意に近付く訳には行かない。

代わりに八剣が小銭を受け取る。





「コーラで良いかな」
「ん」
「ついでに、車が出せるか聞いてくるよ」






そう言って離れると、京子はスタッフ達の目に映らないように、電柱の陰になる。



近くまで来て、スタッフの隙間からカメラの向こうを伺ってみる。
其処には一人の少年と二人の老人が会話をしており、どうやらドラマ撮影のようだと知れた。
チェックモニターが僅かに見えたので覗いてみた所、今は駐車場は画に撮られていないようだ。

番組クルーの様子を横目に見ながら、八剣はスタッフ達の背中側にある自販機に小銭を入れる。
彼女用のコーラを買ってから、八剣は輪の一番外側にいるスタッフに声をかけた。






「失礼」
「はい?」






スタッフはカメラアシスタントのようで、今は使用していないカメラ機材を持って待機の状態だった。






「其処の駐車場に車を停めてるんだけど、出せませんかね」
「え、あー……ちょっと待ってください」






カメラアシスタントは少し戸惑った顔をした後で、恐らく個人的に仲が良いのだろう、ADを手招きした。
車出したいらしいんだけど、と言うアシスタントに、今度はADが助監督と思しき見た目四十代の男の下へ。


ロケ現場は静かなもので、この静寂は撮影中のドラマ本編に起因するようだ。
カメラの向こうで演技を続ける若者と老夫婦の会話は、八剣には聞こえてこない。
しかし淡々とした表情で語る若者に対し、老夫婦は涙を堪えている。

若者は主役を演じているようだが、八剣には見覚えのない役者だった。
あまり表情筋を動かさずに言葉を続ける若者は、独特の雰囲気を纏っている。
面立ちは整っていると言って良いから、昨今のイケメンブームもあるし、このドラマを切っ掛けに火がつく可能性もありそうだ。


ぐるりとスタッフを眺めた八剣の所へ、ADが早足で戻ってくる。
彼は、撮影現場の雰囲気を壊さないように声を潜めて、






「手前の車ですか?」
「奥ですね。黒の乗用車」
「あ、それなら大丈夫です。撮影が休憩になってからになりますけど…」






と、ADの言葉を遮るように監督の声が響く。
OKを貰った現場の空気の緊張が弛緩し、スタッフ達は詰めていた息を吐き出した。

監督が拍手をしながら若い役者へと歩み寄る。
演技を絶賛して肩を叩かれた若者は、眉尻を下げて笑って見せた。






「今からでも大丈夫ですよ、車」






若者の様子を観察していた八剣に、カメラアシスタントがカメラのケーブルを纏めながら言う。

八剣はスタッフ二人に短い礼を述べて、スタッフの塊を迂回してパーキングに入る。
その際に待っているだろう京子を見遣ると、彼女は既に此方に背を向け、路地の向こうを目指して歩き出していた。
手早く精算を済ませると、一番奥に停めていた車に乗り込み、エンジンをかけ、発進する。


撮影は現場を変えずに続くようだったが、一先ず、休憩に入る事にしたようで、スタッフが疎らに散っていく。
監督から解放された若者は、老夫婦と和やかに話しこんでいた。





彼女の為に買ったコーラをクールボックスに入れて、先ずは大路を目指して八剣はハンドルを切った。
































三十分の休憩を貰った龍麻は、老夫婦としばし談話した後、ロケーション現場を離れた。
路地の向こう、大路に出た所にあるコンビニに売っている苺牛乳を買う為に。



緋勇龍麻は、現役高校生の新人俳優である。
今日は学校を休んで仕事に臨み、来月放送予定の二時間枠のドラマを撮影していた。


整った柔らかい面立ちに、いつも静かな笑みを湛えている表情。
どちらかと言えば口数は少なく、引っ込み思案とは行かないが、積極的に人前に出るような性格ではない。
周りが賑やかに話をしている時も、その輪の中で聞き役になっている事が多かった。

そんな彼が役者の世界に足を踏み入れることになったのは、謂わばアクシンデントの賜物であった。
学校の近くでドラマ撮影があった時、主要人物の役者の一人が体調不良で降板し、代役も見付からないという抜き差しならない状況で、龍麻が通りかかった。
龍麻を見たドラマ監督は、彼曰く「光るものを見た!」との事で、その場で素人の龍麻の起用を決めたのである。

オンエアされたドラマを見た人々は、素人ながら独特の雰囲気を持った彼に虜になった。
特に若い女性は夢中になり、ドラマ関係者の間では伝説のように語られ、プロダクションから龍麻個人へ声がかかる程になり――――― 家にまで押しかけて誘うプロダクション関係者に負けて、龍麻はこの世界へと参入したのである。


それが去年の秋の事だ。
よって、実質、龍麻の芸暦は未だ一年にも満たない。
しかし既に固定のファンが付くようになっており、ドラマ撮影の合間には若者向けのファッション雑誌でインタビューを受ける事もあった。

今話題の若手イケメン俳優とは、まさに龍麻の事だった。


しかし、その当人は、自分がそのような評価があると言うような自覚は全くなく。
差し入れの買出し等、スタッフが行うことが多いだろう雑用にも参加する事が多かった。




自分が行くからと言う女性スタッフの言葉をやんわりと断って、龍麻は走った。
お気に入りの苺牛乳へ。




路地を抜けて直ぐのコンビニに入ると、龍麻は籠を取って、先ずはスタッフ達への差し入れを選びにお菓子コーナーへ向かう。
巣鴨と言う地に合わせて、此処のコンビニに陳列する品は、高齢者向けのものが多い。
龍麻は幾つか袋の菓子を選ぶと、次は飲料コーナーで2リットルの茶とスポーツ飲料を選ぶ。

最後に紙パックの苺牛乳を籠に入れて、レジへと向かった。
――――その手前の雑誌コーナーで、龍麻はふと足を止める。






(今月も表紙なんだ)






龍麻の目に留まった雑誌は、若者向けのファッション雑誌。
新宿や渋谷で見る時は、一番手前に陳列されている雑誌だが、此処では奥隅になっている。

商品の入った籠を床に置いて、龍麻は雑誌を手に取った。


表紙を飾っているのは、一年前から注目を浴び、現在最も売れっ子だと評判のモデル。
向日葵畑の中で真っ白なワンピースの裾をふわりと広げ、眩しそうに笑う少女――――京子だ。






(……多分、そうだと思うんだけど)






ページをパラパラと捲りながら、龍麻は胸中で呟く。



龍麻は、京子にある思い入れがあった。
出来ることなら、一度逢って話しがしたいと思うほどに。

それは単なるファン心理ではなく、寧ろそれとは遠いと言って良い。
どうしても確かめたい事があったから、龍麻は彼女に会いたかった。
これは誰にも言っていないが、龍麻が役者入りを受け入れた要因の一つでもある。



海辺のグラビア写真と一緒に、二ページ分のインタビューがあった。






――京子さん、今年の夏の予定はありますか?

『沖縄とハワイに行く予定なんですけど、どっちも仕事ですね』

――お友達と遊びに良く約束などは。

『ないです。ずっと仕事ですね。お仕事は好きなんですけど、もう随分休んでないから、ちょっと遊びたいな。最近言われるんですよ、付き合い悪くなった! って。メールでどこか遊びに行こうよって誘われても、その日は無理って返事ばっかりになって。このままだと、友達減っちゃうなあってちょっと不安です』

――人気者は大変ですね。

『そんな事……(照)』

――夏と言えば海ですが、京子さんは海で遊んだ事はありますか?

『小さい頃に一度だけ、家族で遊びに行った事があります。でも私は小さかったので……お姉ちゃんと泳ぎの競争をして負けて、帰りの車の中でずっとスねてたらしいんですけど、覚えてないんです。海に行ったのはそれきりかな。今でもそれでお姉ちゃんにからかわれるんですよ。あなたはスねると宥めるのが大変だったって』

――負けず嫌いだったんですね。

『そうかも知れませんね』






ビキニにホットパンツと言うスタイルで、浜辺で笑う少女。
青い空と海に囲まれた世界で、少女の小麦色の肌はよく映える。


太陽の眩しさに目を細めて笑う彼女は、スポーティな印象とは違い、性格は大人しかった。
その様子はインタビューでも時折見られ、記者のちょっと意地悪な質問には戸惑っているのが常だ。

……龍麻は、それがどうにも引っ掛かって仕方がない。



自分の考えに確証がある訳でもなければ、そう思うに至るまでの理由もない。
これは龍麻の勝手な憶測であって、端から見れば単なる妄想か既望の類であると言って良い。
龍麻もそれは重々自覚していて、だからこの考えは、ごくごく仲の良い人達にしか話していない。
その友人達も、気持ちは判るけど、と言葉を濁すのが精一杯で、誰も頷いてはくれなかった。

だが、龍麻には理由がなくても自信があった。
“彼女”に関する事だから、特に。



雑誌を籠に入れて、龍麻は改めてレジへ向かった。

愛想の良いパートのおばさんは、にこにこと笑みを絶やさずに精算を済ませてくれた。
2リットルのペットボトルのお陰で重くなった買い物袋を持って、龍麻は外へ出る。





丁度その時、黒の乗用車がコンビニの前に停まる。
それが先程、撮影現場横のパーキングに停まっていた車だと言う事は判った。

その車に乗り込む為に龍麻の前を横切ったのは、龍麻がコンビニに来た時から、入り口横に立っていた細身の少年―――――いや。








「――――――ッ!?」









少年が振り返る。
驚愕の瞳が、龍麻の前にあった。

どうしてそんな顔、と思った後で、龍麻は自分が彼の手を掴んでいる事に気付いた。



サイズの合わないシャツとジーンズ、履き古されたスニーカー。
ツバの長い帽子を目深に被って、まるで顔を隠しているようだったが、正面から向き合った龍麻には意味がない。

猫のように釣り上がったきつめの眦、少し日焼けした肌、ふっくらとした潤む唇。
整ったその面立ちに、龍麻は見覚えがあった。
ついさっき買ったばかりの雑誌――――いや、それよりもずっと前から。


だから、通り過ぎようとするその手を思わず取ってしまったのだ。




そうだ。
彼は―――――いや、彼女は、間違いなく。










「京」










一年前に忽然と姿を消した、無二の親友だった。


















龍京的には、此処とこの後の場面が書きたかったんです。
楽しいよ、この設定!