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京だ。
京子だ。

龍麻は確信した。


蓬莱寺京子。
二年前に突然失踪した親友だ。





異性同士である故に、二人でいると色々と噂を流されて、龍麻はそれは決して嫌ではなかった。
彼女はいつも顔を顰めて揶揄うクラスメイト達を怒鳴り散らしていたけれど、その時の紅い顔も龍麻は嬉しかった。
決して本気で嫌がっている訳ではなく、好意に素直になれない彼女が照れているだけだと判ったから。


彼女に自分が恋心を抱いていた事に気付いたのは、彼女が姿を消してからだ。
どれだけ後悔したか知れない、どれだけ探し回ったかも判らない。
初めて自覚した感情は、相手にそれを伝える事もなく、ただ龍麻の中で燻っていくばかりだった。

そんな龍麻に光明が差したのは、彼女が失踪してから半年後の事。
クラスメイトが持って来た若者向けのファッション雑誌に載っていた少女に、龍麻は戦慄した。
「似てるから、まさかのまさかで、若しかしたら」と言っていたクラスメイトは、彼女を心配して憔悴する龍麻を宥めようとしていたのだろう。
この少女が彼女であるなら、無事で元気にしているから、と。

だが、龍麻は初めて雑誌に載った少女を見た瞬間に感じたのだ。
これは京子だ、と。


龍麻と京子は高校生になってからの付き合いだったが、誰よりも密度の濃い時間を過ごしていた。
ただの友人と言うには近過ぎて、そう、親友と言うのが一番当て嵌まる関係だった。

何もかも曝け出して、秘密があれば共有し、共有できない秘密ならば無理に聞き出すことはなく。
素行不良で名の通った彼女が大立ち回りを始めれば、龍麻もそれとなく参加する。
それは彼女を守ろうとしての行動ではなく、隣に並ぶ為であって――――やはり、二人は“親友”であって“相棒”だったのだ。



彼女の気配なら、姿を見なくても掴む事が出来る。
だから判った、目の前の少女が京子だと。






「京だよね」






驚愕に目を丸くした少女に、龍麻は問うた。

この呼び名を知らないなんて言わせない。
龍麻にこの名で呼ぶ事を許したのは、他ならぬ京子だ。
そして、他の誰にもこの名で呼ばせた事はない筈。






「京」






返事が欲しくて、龍麻は呼んだ。

呼べば彼女は答えてくれた。
面倒臭そうに胡乱な目をして、それでも答えてくれた。


しかし目の前の少女は、驚いた表情のまま、呆然としている。



龍麻は待ち切れずに、矢継ぎ早に口を開いた。






「なんで急に学校に来なくなったの? 美里さん達、心配してるよ」






無茶ばかりする京子を心配していたクラスメイト。
子供のようなケンカ相手がいなくなって、退屈そうなクラスメイト。
長い付き合いだからこそ、危惧していたクラスメイト。
いつの間にかクラスに馴染んだ、隣クラスの友人。

他にも、担任の英語教師や、行き付けだったラーメン屋の店長や、懇意にしていた病院の先生。
皆、何も言わずに行方を眩ましてしまった京子の事を心配してくれていた。


失踪直前に彼女に何かがあった事は噂で聞いたが、“何か”が“何”であるか、龍麻は知らない。
情報通の友人は色々と探っているようだったが、まだ漕ぎ着けるには至っていないらしく、彼女は酷くやきもきしていた。
大切な仲間の事なのに、何も判らないのが腹が立つ、と。

でも、彼女本人に逢えた事で、龍麻はまた一つ確信した。
やはり彼女の身には“何か”が、彼女が行方を眩ます程の事があったのだと。






「木刀、どうしたの」






いつも、何処に行くにも持っていた筈の、紫色の太刀袋。
それがない。

龍麻の指摘に、掴んだままだった少女の手が震えた。



龍麻と少女は見詰め合っていた。
それはほんの数秒の事であったが、龍麻にとっては永い永い時間だったと言って良い。
彼女が失踪してからの一年間が、とてつもなく永かったのと同じように。



龍麻は願っていた。
一年前と同じように、名前を呼んでくれる事を。

龍麻と仲良くしてくれるクラスメイトは少なくはない、挨拶程度なら全員と交わす。
けれども、何故かは判らないけれど、龍麻の名前を呼ぶのは京子の特権になっていた。
龍麻も京子もそれを特別に気に留めた事はなかったけれど、龍麻はそれに気付いていた。


―――――けれども、眼前の少女の口が紡いだのは、龍麻の願いとは最も遠い場所にあるもので。






「あの……すみません、人違いだと思います」






見開いていた目を和らげて細め、眉尻を下げて、少女は戸惑うように笑った。






「私の名前は京子です。京って言う子じゃありません」
「知ってる。京子だよ。だから僕は京って呼んでた」






否定する少女に、龍麻は矢継ぎ早にその否定こそ否定する。
少女は益々困ったように視線を彷徨わせた。






「えっと、あの……期待させてしまって申し訳ないんですけど、本当に」






少女は、あくまで龍麻の言う事を否定した。


じっと少女の瞳を見詰めれば、少女は俯いてしまう。
そうすると、帽子の長いツバの所為で、龍麻からは少女の表情が伺えなくなってしまった。

少女のその仕草を切っ掛けにしたように、コンビニ前に停車していた乗用車の運転席ドアが開く。






「連れに何か用かな」






乗用車を降りて龍麻達に近付き、そう言ったのは、長身の男性。

整った顔立ちに長い手足、フォーマルスタイルを基本にした服装。
首にはシルバーネックレスが光り、さりげなくセンスの良さを演出していた。


龍麻は、その男性を何処かで見たような気がしたが、思い出すような暇はない。
男性は少女の肩を引き寄せて、龍麻の手が離れたのを期に、そのまま自分の背中へと庇う。






「大丈夫かい?」
「うん」
「それで、彼女に何か用が? 知り合いかい?」
「ううん。多分、人違いだと思う」






質問は龍麻へと向けられていたが、答えたのは少女だった。
男性のジャケットの裾を引っ張って、だから何もない、と彼の心配を拭おうとする。

男性はしばし龍麻を見詰めた後、少女の肩を押して乗用車へと足を向けた。


遠くなる少女の背中に龍麻は手を伸ばす。






「京、待って」






擦れ違いの会話だけで、龍麻の気は納まらなかった。


クラスメイト達が此処にいたならば、龍麻のこの行動に驚いた事だろう。
緋勇龍麻と言う人間は、大体が受動的な性格と言う印象で、自ら率先して動き掛けることが少ない。
それは消極的なのではなく、動くことに意欲がないからでもなく、基本的に何事に対しても淡白なのだ。

そんな龍麻が一人の少女に此処まで固執すると、一体誰が予想できただろうか。
龍麻の想いを知っているクラスメイト数名でも、まさか此処まで――――と思うに違いない。


それ程に、龍麻は遠ざかる少女に―――――京子に焦がれていたのである。



しかし、乗用車に乗り込もうとしている少女は、柔らかな笑みを浮かべて振り返り、






「すみません。お友達、見付かると良いですね」






柔らかな声、柔らかな言葉、柔らかな眼差し。
それを生み出す母体は同じである筈なのに、何もかもが違う。








龍麻の記憶で眩しく笑う親友は、其処にはいなかった。



































窓に頬杖を突いて、通り過ぎていく街の風景を眺めている京子。
ガラスに映り込んだ彼女の表情を伺い見れば、眺めているとすら言い難い瞳があった。

原因は恐らく、先程彼女と言葉を交わした少年だろう。




ドラマ撮影の現場になってしまったパーキングから車を出して、通りに出て、コンビニ前で待つ彼女を見付けた。
帽子を目深に被った彼女の姿は、サイズの合わない服装の効果もあってか、少しやぼったい少女と言う印象だった。
そんな彼女を拾って、さて次は何処に行こうかと頭を巡らせつつ、コンビニ前に車を停めた。

京子もそれに気付いて、車に乗り込もうとした所で、少年は現れた。


彼がドラマ撮影の役者である事は直ぐに判った。
何処か茫洋とした表情は、演技の時の淡々としたものとは少し雰囲気が違ったが、見たばかりで忘れる訳もない。

少年は擦れ違い様に京子の手を掴まえて、話しかけた。
それだけなら少し行き過ぎたファンにも見られる行動だったので、八剣は後で京子の機嫌取りをしなければと思いながら、相手も一人だし、彼女一人でもどうにか切り抜けられるだろうと思っていた。

だが、少しの間様子を見ていると、どうも少年の方が様子が可笑しい。
ファンが話しかけているにしては張り詰めた表情をしていて、切羽詰ったような印象を受けた。
そして、京子が少なからず動揺している事も気付いた直後、八剣は車を降りた。



京子は少年に対して“モデルの京子”として対応していた。
けれども少年の京子を見る目は、その裏側さえも見透かそうとしているように見えた。



強引に少年から京子を離し、龍麻は京子を車に押し込んだ。
その時まで京子はモデルの顔を通していたが、車が発進し、角を曲がって少年が見えなくなった所でメッキは剥げた。

シートにもたれかかった彼女は、酷く疲れていた。
脱いだ帽子で顔を隠し、小さな声で何事かを呟いていたが、その内容は八剣には聞こえない。
それから数分が経った後、帽子を後部座席に放り、窓に頬杖をついて今のスタイルになり、沈黙してしまった。




彼女の為に買ったコーラは、クールボックスの中にある。
入っているよと言った時は短い返事があったが、それきり、彼女は手を伸ばす事もしない。


赤信号で停止して、八剣はハンドルに凭れかかった。
ウィンカーの音に合わせて指先が遊ぶ。

京子はそれも見ていなかった。



……機嫌が悪いと言うには、雰囲気が違う。
愚痴を言うでもない、当り散らすでもない、彼女は至ってごく静かだった。
怒りが頂点に達すると返って黙ると言う人物もいるが、彼女はよっぽどの事でない限り、其処まで至る事はない。
そうなる前に八剣を相手に子供の様に怒鳴り散らしたりして、出来る限りの発散を行うからだ。

そうでなくとも機嫌の悪い彼女と言うのは、良くも悪くも判り易い。
口を開けば罵詈雑言、閉じているなら猫のように目尻が釣り上がり、不機嫌なオーラを全身から醸し出す。
それらが彼女から一切感じられないのであれば、少なくとも、彼女の機嫌は下降線とは違うラインを辿っている事になる。


―――――こんな彼女は、八剣も初めて見る。






「……あれは、」






何度繰り返しても、彼女がこんな事になった原因は、一つしかない。


彼女がいつも通りに振舞うなら、八剣も然程深く考えなかっただろう。
少年の前で京子が言っていたように、単なる人違い―――それが京子の方便でも―――だと思ったから。

けれどもそれは絶対に違う。
彼女の態度が何よりもそれを証明する。






「昔の知り合いか何か、かな?」
「………」






否定の言葉が出て来なかった。
少しだけ彼女の頭が揺れて、肯定であると八剣は受け取る。






「人違いじゃあないんだろう」
「……なんでそうなる」
「本当にそうなら、今の京ちゃんの様子と矛盾する」






京子はまた沈黙した。
追求の意を拒絶していると八剣にも判る。



今日はもうオフなのだから、彼女がどんな心理状況になっても今後への差し支えはない。
明日まで響くかどうかは判らないが、いつものプロ根性を思うと、恐らく、なんでもない顔をして見せるだろう。

それならば、もうそれで十分なのかも知れない。
モデルタレントとしての彼女を求めるのなら、仕事に障りさえなければ良いのだ。
週刊誌の見出しに載るような事態は出来れば避けたい所だが、短気に見えて頭の回る京子だ、上手くかわす事も出来るだろう。

後は彼女自身の問題で、マネージャーの八剣が口を挟める事ではない。


けれども、八剣はそれだけで納得する訳には行かなかった。






「モデルになる前の元彼氏、と言った所かな?」
「…………………あァ?!」






随分と間が空いた後で、不機嫌な声が上がった。






「言い出すだろうとは思ったが、マジで言うか、てめェ」






釣り上がった眉と目尻、機嫌を損ねたと判る低い声。
見慣れた京子の表情に、八剣は内心ひっそりと安堵を覚える。






「人違いじゃあないなら、知り合いだろう。それも、結構深い仲の」
「取り合えず、その考えに至るまでの理由を言え」






ようやくクーラーボックスからコーラを取り出しながら、京子は八剣を睨み付ける。


信号が赤から青に変わり、八剣はハンドルを切りながらゆっくりとアクセルを踏んだ。






「先ず、珍しく京ちゃんが動揺してたね」
「してねーよ」
「あれはキャラを守っていただけじゃない。本当に驚いたんだろう。話しかけてきた相手に対して」
「驚いてもねェよ。えらく切羽詰ってるみてェだったから、面倒だとは思ったけどな」
「それから、向こうが京ちゃんを知っているようだった。君が京ちゃんだと判った上で話しかけていたな」
「そりゃ、一応売れっ子ですから」






茶化すように言う京子に、八剣は苦笑する。
それだけなら良かったんだけどね、と。






「……ンだよ。別にあんなの初めてじゃねェだろ。知り合いに似てるだの、どっかの誰かにどうだの、今までだって散々言われてらァ。クラスにいた子に似てるとかな。ザラにあんだろ、こんな顔」
「いや、それは同意しかねるな。それなら、俺は京ちゃんをスカウトしてないよ」
「遠回しに自画自賛かよ。ヤだねェ、自信過剰な野郎は。そんな調子で、今までも女引っ掛けてたんだろ」
「京ちゃん、話題を摩り替えようとしてないかい?」






尚も八剣の先の言について言い募ろうとする京子を、八剣は遮った。
言葉を封じられた京子は、小さく舌打ちして、コーラの蓋を開ける。
八剣の言う通り、この話題をフェードアウトさせようとしていたのは明らかだ。


コーラを一口胃に流して、京子は取り付けのペットボトル置きにコーラを置く。
そして窓に頬杖を突くと、先程と同じ表情で窓の外へと目を向けた。






「……とにかく、なんでもねェよ」
「京ちゃん」
「ンだよ。なんでもねェったらねェからな。もう喋んねーぞ、オレは」






窓ガラスに映り込んだ彼女の眼は、不機嫌そのもの。
しかしそれが演技がかっているように見えるのは、八剣の気の所為ではないだろう。

これは「踏み込むな」と言う、この一年間の間で何度も見られた彼女の無言のサインだ。
学校の話題、家庭の話題になった時、彼女はいつも話題を逸らすか、若しくは沈黙とこの瞳で拒否を示す。
今までは殆ど仕事の合間に見られた表情だった為、仕事への支障も考えて、八剣は疑問を閉ざしてきた。

だが今日はもうオフで、明日は昼から。


多忙な生活を送る京子と八剣である、今を逃せば時間はない。
と、思うのだが―――――京子は本当にもう喋る気はないようで、口を真一文字に噤んでいる。



八剣は溜息を一つ吐いた。
彼女にも聞こえるように。






「言いたくない……いや、言えないのなら、別に良いけどね」






言いたくないのか、言えないのか。
微妙な言葉のニュアンスの違いは、彼女に伝わるだろうか。
伝わったとして、彼女はそれを受け止めてくれるのか。






「何があろうと、例えば過去に京ちゃんがどんな事をしていたとしても、俺は京ちゃんの味方だよ」
「………」
「芸能界にいるからとか、俺が京ちゃんのマネージャーだからとか、そういう理由じゃない。俺は京ちゃんが好きなんだよ。こっちが勝手に作ったイメージをちゃんと守ってくれて、でも俺の前では素のままでいてくれる。そういう君が好きだよ」






京子が振り返る。

八剣はそれを正面から見ていない。
運転中に其方に目を向ければ前方不注意で事故の危険がある。
けれども、横目に少し見遣る程度の余裕はあった。


京子の顔は、少し赤かった。






「隠し事をするなとは言わない。年頃だし、女の子だしね。ただ、それもいつかは話して欲しいかな」






勿論、話したいと思った事だけ。
京子のタイミングで良いから。


京子は俯いて、膝に置いたままにしていた帽子を被った。
目深にして目元を隠すのは、照れている証拠だ。

戸惑いと躊躇いはあるけれど、頭から八剣の言葉を拒絶するほどに信頼されていない訳ではないのだ。
それを感じる事が出来ただけでも、八剣にとっては十分。






「さて、何処行こうか」






それまでの空気を払拭するように、笑みを浮かべて八剣は言った。
一瞬京子の肩が跳ねたような気がしたが、見なかった事にする。

京子は帽子のツバを指先で抑えたままで、そうだな、と零してから、






「映画も面白そうなのやってねェな」
「京ちゃんが好きそうなものはなさそうだね」
「適当にブラつけよ。目ェついたモンがあったら言う」
「ああ」






頷きながら、八剣は京子が好みそうなものが見れそうなルートを考える。
そうなると、ラーメンなり定食屋なりと、どうしてもグルメ関係が増える。
その中で更に人数の少なそうな所に絞らなければならない。

幸い平日の昼間、学生の帰宅が始まる夕刻まではゆっくりしていられるだろう。
いつもは行けない所も、新宿や原宿、渋谷のように若者が集中する場所でなければ、行けるかも知れない。
足は地下鉄や電車のような公共交通ではないのだし、多少帰りが遅くなっても問題はない。


京子はシートにもたれかかり、鞄から雑誌を取り出している。
朝、仕事に向かう時に見ていた雑誌と同じものだ。
パラパラとランキングページを捲る京子は、都心以外で行けそうなラーメン屋を探しているらしい。

市外地なら行けるかな。
そう思いながら、八剣はハンドルを切った。






































撮影現場に戻る足が、無性に重い気がした。

少女の笑みが頭から離れない。
柔らかくはにかむような笑顔が。



彼女はいつも、夏の太陽のように眩しく笑っていた。
悪戯を思いついた子供のようにニヤニヤと笑う事もあった。
時々、光を見詰めるように目を細めて笑っている事もあった――――誰も見ていない時だけ。
龍麻でさえも不意に盗み見る形になった程度で、目を合わせたと思った時には、いつもの表情を浮かべていた。

それらは先程、車で走り去っていったはにかんだ少女と重ならない。
けれどもダブるような感覚はあって、龍麻は、やはり彼女はあの親友だとしか思えなかった。


だが、彼女はそれは人違いだと言った。
柔らかな笑みを浮かべて、少女らしい振る舞いで、きっと京子ならば見せないだろう戸惑った面立ちで詫びまでして。
男よりも男らしいと言って良い性格をしていた京子とは、まるで正反対の表情だった。






(違う)






その言葉は、彼女が彼女ではない、と言う事ではなく。
ああして振舞う彼女こそが、彼女の本質とは違うのだと。


本当に龍麻の勘違いと言うのなら、あの時の反応は全く見られなかった筈だ。
心配しているクラスメイトの名前を出した時は、これと言った反応はなかったけれど、木刀について聞いた瞬間、彼女は明らかに動揺した。
普通の女の子であれば、それこそ何の事か判らないだろうに。

彼女は自分の動揺を隠す事に長けている節があったけれど、得意としていた剣術と木刀に関しては別だ。
何処にっても手放す事のなかった木刀は、手元を離れるだけで落ち着かないようで、授業中でもロッカー等は使わずに必ず手を伸ばせば届く距離に位置していた。

だから、あれは彼女でなければ絶対に見られる事はない反応だ。






(どうして―――――)






彼女である筈なのに、まるで他人の振りをする。
何処に行くにも手放す事のなかった木刀まで、彼女の手にはなかった。


芸能人だから人目を気にしているのかも知れない。
モデルとして活躍する彼女は、正反対のキャラクターを演じている。

芸能界に入った人間が、イメージやキャラクターを守る為に、それまで関わっていた人を切り離す事はある。
オンオフの切り替えをする事なく、キャラクターを実生活まで浸透させる人もいる。
――――けれど、彼女がそれをするとは、龍麻にはどうしても思えなかった。


良くも悪くも、京子は自分に正直な人間だった。
気に入らないことは気に入らないと言うし、嫌いなものは嫌いだと言うし、やりたくない事はやりたくないと言う。
自分が女らしさと程遠い性格をしているのは自覚があって、クラスメイトに散々その事で注意されても、さらさら直す気はなかった。

それが芸能界に入ったからといって、一転した真逆の性格を誠実に守るだろうか。
龍麻には其処が納得行かない。




撮影現場に戻ると、監督と老夫婦が次の場面の打ち合わせをしていた。
この二名の撮影が終わってから、順繰りで龍麻の出番の場面となる。

龍麻は一先ず、買ってきた差し入れをカメラマンや音声スタッフ等、クルーに配った。
それから助監督に、彼と監督の分を纏めて渡して置く。


手持ちが自分の分だけになった所で、龍麻は出番待ち用に待機してあるマイクロバスへ乗り込む。

苺牛乳のパックにストローを差し込んで、コンビニで買ったファッション雑誌を取り出す。
立ち読みしていたインタビューページを開いて、龍麻は文字の羅列を追って行った。






『学校はちゃんと行っていますよ。ちゃんと学業と仕事と両立させないと、モデルの仕事は辞めなさいってお母さんに言われてるんです。学校も楽しいし、モデルのお仕事も楽しいから、それは嫌で』

――勉強は得意な方ですか?

『あんまりかなぁ。国語は得意な方ですけど、数学が駄目です』






……京子は勉強嫌いだ。
テストはいつも赤点がつき物で、補習の嵐。
その補習プリントも、友人達に手伝って貰ってようやく片付けられていた。

龍麻も一緒に補習を受けていた事があるが、彼女はまるでやる気を出さず、大嫌いな生物教師が用意したプリントの山をぶち撒けていたものだ。
しかし留年はしたくないのが本音で、やっぱりクラスメイトに手伝って貰って、なんとか無事に切り抜けていた。







『もう直ぐ進路を決めなきゃ行けないんですけど、迷ってるんです。友達は皆大学に進むみたいで、私もモデルになるまではそのつもりでいたし。でもモデルのお仕事が楽しくなって来て、こっちに集中したいなとも思うようになって来て。お母さんに相談したら、私のやりたいようにやりなさいって言うんです。好きにさせてくれるのは嬉しいけど、それが判らなくて悩んでるから相談したんですけどね』

――でも、優しいお母さんですね。

『そうですね。どっちを選んでも自分の責任だから、後悔しないようにしなさいって言うんです。もう子供じゃないんだから、お母さんが一々口出ししなくても選べるだろうし、選んだ事を責めたりしないからって』

――お父さんはどですか?

『この間、さりげなく聞いてみたら、お父さんは進学して欲しいみたいです』

――気持ちとしては進学に傾いてる?

『今の所はそうかも知れません。でも、どっちにしてもモデルの仕事は続けたいと思うんです。私、欲張りですから(笑)』






…こういう発言を彼女はしなかった。

どちらか二つを選べと言われて、両方とも捨て難いから悩む、という行動。
好き嫌いがはっきりしている彼女は、決断も早く、頭の切り替えも早かったから、延々と思い悩むことはなかった。
時々極端過ぎる結論に達することもあったけれど、案外とそれは的を射ていたりしたものだ。



――――ふっと、見ていた雑誌に人影が落ちる。
龍麻が雑誌から顔を上げると、ADの若者が雑誌を見下ろしていた。






「出番?」






龍麻が問うと、ADは龍麻を見上げて、





「いえ、まだ。今からシーン16なので、それが終わってからです」
「そうですか。ありがとうございます」






もう少しだけ時間があるとは言われたが、準備はして置いた方が良い。
ストローを差したままの苺牛乳の蓋を閉じて、それを固定されているテーブルに置く。
一緒に雑誌も其処に置くと、ADが雑誌を手に取った。






「緋勇さんも好きなんですか? 京子ちゃん」






解けていたスニーカーの紐を結び直す龍麻に、ADが言った。
一瞬、問い掛けの意味を判じかねて顔を上げると、ADはページを捲りながら続ける。






「いいですよねェ、京子ちゃん。可愛いし、スタイルいいし。こういう彼女がいたら、僕、人生バラ色ですよ」
「そう……かな」
「絶対にそうですよ。それに、なんて言うか、男を立ててくれそうじゃないですか」
「…そうですね」
「ですよね。あーあ、一回で良いから逢いたいな。そういや彼女、今度ドラマに出るかもーって噂あるんですよ。夏に放送予定のスペシャルドラマ」
「ふぅん」
「うちのドラマ枠にも来てくれないかなァ。生で見れるだけでも、一生の思い出ってモンですよ」






海辺で笑う少女を見ながら、ADは鼻の下を伸ばして言う。
龍麻は曖昧な相槌を打つのが精一杯だった。













求められる姿と、本来の姿と。

何を思って、彼女はその境界線を頑なに守ろうとしているのだろうか。




















龍京の擦れ違いとか、思えば今まで書いてなかったような気がします。
この八京は信頼関係で結ばれてるので、こういうのも珍しいかな。京子が完全に八剣を信用してるのが。

本当に楽しくて仕方ないんですけど、この設定。