TERRITORY 01 京子と言う少女は、一言で言えば男らしい性格だった。 一人称が“オレ”である事から始まり、スカートである事などお構いなしで大股開きで歩く。 胡坐を掻くのは当たり前で、葵からしょっちゅう直した方が良いと言われているらしいが、まるで聞いていない。 サバサバとした喋り方で、「ひょっとして男なのでは?」と言った言動も見られる。 不良少女として都内で有名で、授業中にも関わらず、他校の生徒(明らかにチンピラ風の大人もいる)が喧嘩を仕掛けに来る。 そうすると地上三階の教室の窓からグラウンドへ飛び降り、一人で襲ってきた男達を全員倒してしまう。 休憩時間になると、それらチンピラとは別に、彼女の舎弟だと言う男達が何処からやって来て、彼女を取り巻いていた。 舎弟達は総じて彼女を「アニキ」と呼び、彼女もそれを甘受していた。 うっかり舎弟が「アネゴ」等と呼ぶと、何故か鉄拳制裁で、それも問答無用で容赦がない。 どうも女扱いされることを嫌っているような節が見られた。 そんな少女に、どうやら自分は案外と気に入られているらしい。 ─────と言う事を、龍麻は彼女の舎弟であり、バンドメンバーである吾妻橋に聞かされて知った。 「久しぶりですぜ、アニキがあれだけ構う野郎を見たのは」 昼休憩になって、何処からともなくひょっこり現れた吾妻橋。 彼は京子が学校にいる時、ほぼ毎日のように学校へやって来ていた。 なので、京子と龍麻が一緒にいるのを彼もまた毎日のように見ている訳だが、 「そうなの?」 「へェ。醍醐サンとだってこうはツルんでないと思いやす」 吾妻橋が買ってきた苺牛乳を受け取りながら問い掛ければ、肯定が返ってくる。 吾妻橋の手にあるコンビニ袋の中には、京子の昼食となる焼き蕎麦パン等が入っている。 こういった買出しは専ら舎弟に任せているらしく、彼らもそれを喜んで受け入れていた。 龍麻と京子が逢ってから暫くすると、その買出しのメニューの中に、龍麻の好物も含まれるようになった(ちなみに龍麻が頼んだ訳ではない。京子の指示である)。 苺のジャムパンも受け取って、封を破る。 続いて苺サンドクリームパンも受け取った。 京子は昼休憩に入った直後に、クラス担任のマリア・アルカードに掴まり、職員室へ連れて行かれてしまった。 よって現在、真神学園校舎の屋上には、龍麻と京子の舎弟である吾妻橋他三名がいるのみだ。 ……だから吾妻橋は、こんな話を切り出したのだろう。 「アニキはなんつーか、結構警戒心が強いンですよ。だから、自分から誰かに話しかけるってェのもあんまり」 「……そうかな…?」 「へい。話かけりゃァ返事はしますがね。引っ張って連れまわすような人は初めて見やした」 どうも彼女は一匹狼と言うか、他者の必要以上の干渉を拒む面がある。 故に、意識的か無意識かは判らないが、相手との距離を詰めようとしない事が多いのだと、吾妻橋は言う。 “神夷”のメンバーである舎弟の彼らや、“CROW”のギターとボーカルは中学生の時からの付き合いらしい。 醍醐も同じ時期で、最初はやはり、彼女は周囲と繋がりを持ちつつも、一人孤立した位置を保っていたと言う。 それが一年経ち、二年経ち……時間が流れる中で、少しずつ馴染めるようになり、輪の中で笑うようになったのだ。 クラスメイトの葵や小蒔も同様で、遠野もまた、出逢った当初はかなり揉めていた。 その過程を飛ばして一気に距離を縮めたのが、龍麻であるのだと、吾妻橋は話す。 「アニキがガッコ来るようになったのも、アンタと逢ってからです」 「…それまで来てなかったの?」 「週に一回、行けば良い方でしたかね。来ても出席だけ取ってさっさとお暇してたと思いやす」 彼女にとって学校とは、その程度のものでしかなかったと言う事だ。 そしてバンドの練習に借りているスタジオやホール、廃ビル等で練習したり、単純に暇を持て余したり。 高校二年生頃から、学校と言う空間も悪くないと思うようにはなったようだが、それでも気は向かない。 結果、気まぐれに行って、気まぐれに授業を受けて、テストは赤点の嵐で、補習の時だけ確り通う────と言うスタイルが定着するようになった。 「それが龍麻サンと逢ってから、毎日ガッコ行くようになりまして」 それが学生としては普通の事だが、彼女にとっては普通ではなかった。 「いや、いい事っスよ。俺らァマトモにガッコ行ってねぇですけど。だから、アニキにゃ行って欲しいとも思ってまして」 「言えば良かったのに。学校に行った方が良いって」 「それが出来りゃァ良かったんですけどね。まァ、色々ありまして。アニキも大変なんスよ」 京子と逢ったばかりの龍麻に、彼女の詳しい事情は判らない。 今の吾妻橋の言い方はどうにも含みがあるようで、気にはなる───が、果たして本人不在の場で無断で聞いて良いものか。 吾妻橋も詳しく話すつもりはないようで、ジャケットから取り出した煙草に火をつけて黙してしまった。 ギィ、と屋上のドアの開く音。 其方を見れば、疲れた表情の京子がドアに凭れかかって立っていた。 「あー……クソ、だるいったらねェぜ」 「マリア先生に怒られた?」 職員室へと連行されたとなれば、辿る末路はそんなものだ。 苦笑交じりに予想を立てると、京子の眉間に皺が寄る。 「だったらよっぽどマシだ」 「違うの?」 「犬神だ、犬神! あの野郎、グダグダ延々説教垂れやがって! 鬱陶しい!」 犬神───遠野がいる隣の3-C担任の生物教師で、京子曰く『天敵』。 京子は生徒にも教師にも物怖じしないのだが、犬神だけは苦手だった。 都内有数の不良として知られる京子に、唯一動じずに接するのが彼だから、だろうか。 吾妻橋が差し出したコンビニ袋を奪うように受け取って、京子は龍麻の隣に胡坐を掻く。 「あのオッサン、毎回オレばっか目の敵にしやがって」 「京が授業をサボったりするからだよ」 「オメーだって昨日は一緒にサボったじゃねェか」 「うん。でも、初めてだったから見逃して貰えたのかも」 「そら見ろ、やっぱオレを目の敵にしてんじゃねーか!」 ああムカつく! そう高らかに叫んでから、京子は焼き蕎麦パンに齧り付いた。 「午後の生物、絶対出ねェぞ」 「また呼び出されるよ」 「行かねェ」 「マリア先生に連れて行かれるよ」 「そん時ゃ手前も道連れにしてやる」 「なんで僕?」 「お前もサボるからに決まってんだろうが」 誰も一緒にサボるなんて言っていないのに。 そう思った龍麻だが、口には出さなかった。 頭の中で先の吾妻橋の言葉が蘇る。 『久しぶりですぜ、アニキがあれだけ構う野郎を見たのは』 構う相手。 構いたがる相手。 一緒にいたいと思う相手。 ちらりと隣を見れば、ブツブツと文句を言いながら、パンを齧る京子。 二人の間は近くて、お互いが少し身を寄せれば、肩が触れ合う距離。 出逢った翌日に学校で逢った時には、彼女はもうこんな風に龍麻に接して来た。 だから龍麻は、どうにも吾妻橋が言った事に実感が涌かない。 それでも、隣にいる存在に、胸の奥が少し熱くなるような気がした。 うちの京ちゃんは、龍麻に対しては無条件で無防備な一面があるような気がする。 TERRITORY 02 京子の放課後は、大抵バンドの練習で埋まっているらしかった。 それは本番の為の特訓と言うよりも、本人の暇潰しで行われているようだ。 同性の友人である葵や小蒔、遠野の放課後は色々な用事で埋まっている。 所属している生徒会や部の活動であったり、帰り道にある食べ物屋で寄り道をしたり、本屋やCDショップへ行ったり。 女の子らしく新作デザインの服を見にブティックへ向かう事も少なくない。 しかし京子は、買い食いの類はともかく、本やCDや服にはまるで興味がない。 一緒に行っても暇を持て余すだけなので、それなら曲の練習でもしている方が有意義だとの話だ。 葵達も京子のそう言った性格は理解しているようで、彼女が自分達の誘いを断っても、特に気を悪くした様子はなかった。 放課後がそう言った用事で埋まっているのは、醍醐も同じだ。 所属しているレスリング部は勿論、葵達の────いや、小蒔の帰り道の買い食いにもよく付き合う。 さて、龍麻はと言うと、 「放課後?」 「ああ」 昼休憩を終えて、食事に使った屋上から教室へと戻る傍ら、京子が尋ねて来た。 放課後は空いているか、と。 「空いてるよ」 龍麻の放課後と言うのは、基本的にこれと言った予定は入っていない。 クラスメイト達に何某か誘われない限り、殆ど入らない、と言った方が正しい。 今日はまだ誰にも何も誘われていない。 そんな龍麻の返答に、京子の瞳に喜色が浮かんだ────ような気がした。 「よし、じゃあ付き合え」 「え?」 「空いてんだろ。だったら付き合え」 京子の言葉は“誘う”と言うよりも、明らかな“命令”であった。 が、京子にとっては誘っている形なのだろう。 教室へと階段を下りる足を止めずに、京子は龍麻の一歩前を歩きながら続けた。 「あいつらが野暮用があるとかでいねェから、暇なんだよ」 「あいつら……吾妻橋君達?」 「ったく、なーにがいつでも空いてますーだ。空いてねェじゃねェか、あのバカ共」 龍麻の確認に返事をせず、京子は出しっ放しになっていた箒を蹴る。 カタンと音を立てて倒れたそれを無視して、京子は階段を下りて行く。 転がった箒を立て直して、龍麻は直ぐに京子を追った。 京子の言っている事は無茶苦茶だ。 いつでも空いていると言ったのだから、いつでも空けておけだとか、どうせ大した用事じゃねェだろうとか。 そうは言っても彼だって、と龍麻は思い、どうやら京子もそれは判っているらしい。 だから京子のこれらの言葉は、想定していた放課後の風景が変わる事への苛立ちだろう。 彼女の中でのプランが崩れてしまった、その八つ当たり。 「っつー訳だ。暇ならお前、付き合え」 「……いいけど……」 「よし、じゃあ決まりな」 その会話の直後に、教室へと到着する。 だから言えなかった。 「いいの?」と言う、確認の言葉が。 京子が放課後付き合えと言うのは、恐らくバンドの練習に、だ。 しかし“神夷”の他メンバーは今日は不在である為に、出来る事と言ったら彼女一人でボーカルと兼任しているベースの練習のみ。 それだって勿論大事な練習ではあるのだが、ならば一人で集中した方が良いのではないかと龍麻は思う。 そんな所にバンドとは全く関係のない自分が行っても良いものか。 京子の方から誘っているのだから、勿論、彼女自身は気にしていないのだろう。 だが邪魔になったりはしないだろうかと、龍麻は思わずにはいられないのだ。 でも、彼女の練習している姿が気にならないと言ったら嘘になる。 数日前に見た、彼女との始めての対面の瞬間を、龍麻は今も覚えている。 そうして翌日、バンドの一員としてではない、クラスメイトの彼女を見た。 それら中間に当たる練習をしている時は、どんな顔をしているのだろうか。 午後の授業開始のチャイムが鳴る前に、早速寝ようかサボろうかを考えているらしい京子。 それを少し離れた場所から見詰めていた龍麻に、醍醐が声をかけて来た。 「緋勇、放課後は空いているか? ラーメンでも食いに行こうと思うんだが」 醍醐が行こうと誘うラーメン屋は、恐らく、いつも葵達含めたメンバーで行っている店だろう。 龍麻も転校して来てから、何度か一緒に行かせて貰った事がある。 見た目は少々古い建物であるが、味は確かに美味かった。 なので、醍醐の誘いは中々魅力的なものであるのだが、 「ごめん、さっき京に誘われたから」 「蓬莱寺に?」 「うん。多分、バンドの練習だと思う。今日は誰もいないから、付き合えって」 だから行けない、と言う龍麻に、醍醐は驚いた表情をしていた。 瞠目して見詰める醍醐に、龍麻は首を傾げる。 何か可笑しな事を言っただろうかと。 「醍醐君?」 「あ……ああ、すまん」 はっとして謝る醍醐に、気にしていないと龍麻は小さく首を横に振る。 「蓬莱寺が放課後の練習に誰かを誘うなんて、と思ってな」 「醍醐君は行った事がないの?」 「ああ。桜井さん達も行った事はないぞ。遠野は…尾行して何度か行った事があるようだが、ライブ前等は追い返されているらしい」 遠野の件を苦笑交じりに話す醍醐に、龍麻も苦笑する。 彼女ならそれ位は容易くやりそうだ、と。 葵や小蒔、醍醐と言う友人でも、彼女は自分の練習風景を見せたくないらしい。 遠野はあまりにしつこく尾行を繰り返すので、京子の方が根負けした。 しかし、それでもライブ本番前の練習や、彼女の機嫌が悪い時は追い出される。 今はライブを終えたばかりなので、次のライブ予定は早くても来月になる筈だと遠野が言っていた。 それでも京子は極力練習場に人を入れず、“神夷”メンバーの他は懇意にしている“CROW”とセッションや次のライブ予定の打ち合わせをする程度だった。 そんな京子が自ら、練習の現場に誘うとは。 龍麻は他のメンバーがいないからだと言ったが、それでこそ在り得ないと醍醐は言う。 メンバーがいない時の方が、京子は練習場に人を寄せ付けない。 遠野も練習場に近付く時点で怒鳴られてしまう事がある為、気にはなっても、不可侵にしている。 とにかく在り得ない事だらけで、醍醐が驚いたのも無理はなかったのだ。 「明日は雨か?」 眉尻を下げて冗談を言う醍醐に、龍麻は困ったように眉尻を下げ、 「────そう言う訳だから、ごめんね」 「いや、構わんさ。先約なのだから仕方がない。お前の方こそ、明日は気をつけた方が良いかも知れないぞ」 「どうして?」 「恐らく、遠野に追い駆け回される」 今から「ご愁傷様」とまで言ってくる醍醐。 そんな醍醐と、此処数週間で見た遠野のスクープへの執念を思い出し、龍麻は曖昧に笑って見せるしかなかった。 京子の命令形はデフォルト。 京子にとっては普通に誘っているつもりです。 TERRITORY 03 京子が龍麻を伴って向かったのは、スタジオではなかった。 スタジオと同じような音楽機材などが整えられた、今は使われていない廃ビル。 其処が今日の京子の練習場────と言うよりは、“神夷”が常駐している場所らしかった。 ビルの周辺には、このビルと同じように、使われていない鉄筋建築が乱立しているだけ。 壁やシャッターには罅や垢等は勿論の事、暴走族が描いたような落書きがある。 幾つか人の気配があるアパートもあるので、無人ではないようだが、誰の目から見ても治安が良いとは思えない。 そんな道を京子は慣れた足取りで進み、このビルへも勝手知ったる歩調で入って行った。 龍麻は見慣れぬ環境に少々の違和感を覚えつつも、黙々と京子の後ろついて歩いた。 廃ビルの二階、壁を壊して取り払ったような広い空間に、音響機材は置いてあった。 こんな所で使えるのだろうかと龍麻が思っていると、京子が部屋の電灯を点けた事でそれは解決された。 窓の外へと繋がっている不自然なケーブルが、この部屋に電気を運んでいるらしい。 機材の方は比較的新しいものと、使い古されたスピーカーがごちゃ混ぜになっていたが、どれも現役のようだ。 部屋の隅には開かれたままのパイプ椅子が五つと、足元がガタついているテーブルが一つに、折り畳まれでビニールに包まれた毛布らしき大きな布。 その横には小さな冷蔵庫、その上にはオーブンがあり、また並んで楽譜やCD等が置いてある棚があった。 ちなみに廊下に出ると水道があり、表面は錆で酷い有り様だったが、出てきた水は問題のない普通の水道水だった。 打ちっ放しのコンクリートがむき出しになっている事を除けば、廃ビルとは思えない充実振りだ。 部屋に入ると、京子は早速壁に立てかけていたベースを手に取る。 「適当に座ってていいぜ」 言って、京子はパイプ椅子の一つに落ち着く。 ベースのチューニングを始めた彼女の邪魔にならないように、龍麻は静かに、椅子の一つに腰を下ろした。 何度か音を鳴らすと、納得の行く音に直せたのだろう。 ベースを一旦椅子に下ろして、京子は棚へ向かう。 数枚の紙を手に取ると、テーブルを引っ張って運び、其処に紙───楽譜を置いて再びベースを構えた。 龍麻はじっと、何をするでもなく、その様子を眺めている。 それ以外にする事もない。 京子は、龍麻の方を見ようとはしなかった。 彼を連れてきている事すら、今の京子の頭の中には残っていないのだろう。 連れて来ておいて────とは思わない。 そもそも、口調は命令形ではあったが、彼女の性格からしてあれは普通のことだ。 彼女にとっては誘ったに過ぎず、其処に強制力はなく、龍麻が断る事も自由だった。 龍麻はそれで構わない。 龍麻は、ただ京子を見ていたかったのだ。 学校にいる時のように、クラスメイト達と笑っている時とは違う彼女を、見ていたい。 ライブ会場で見ていた時のように、光彩の中で何よりも煌いた彼女が、其処に向かうまでの姿を知りたかった。 本番の輝きの為にどんな事を、どんな表情でしているのか、それが見たかった。 ベースの音がコンクリートに反響する。 この音だけでは、龍麻は彼女がどんな曲をイメージしているのか、全く判らない。 楽譜を見ても恐らく判らないだろう、龍麻はバンドスコアと言うものを知らないから。 それでも、龍麻はじっとベースを鳴らす京子を見詰めていた。 「……なんか違ェな」 ポツリと呟いて、京子はベースを鳴らす手を止める。 ベースを膝に置くと、テーブルに頬杖を付いて渋い顔付きで唸り始めた。 「イチからやるか……つっても面倒臭ェな…」 「……どうかした?」 ブツブツと呟く京子に、龍麻は首を傾げて問うた。 其処でようやく、思い出したように京子の瞳が龍麻を見る。 「いや、ちょっとな」 「曲、作ってるの?」 「ああ」 置いていた楽譜の一枚を手に取って、京子はじっと譜面を睨む。 その表情は、龍麻から見ても、納得できないと言う言葉がありありと浮かんで見える。 しかし其処まで作った苦労もあるのだろう、全てを無に返すのも惜しいようだ。 「……しょうがねェ、面倒だが……」 呟いた京子に、やり直すのか、と龍麻は思った。 しかし京子は譜面を纏めて持つと、代わりにベースをテーブルに置いて椅子を立つ。 「帰るの?」 「いいや。ちょっと電話。一階に公衆あるから行って来る。お前は適当にしてろよ」 ひらひらと手を振って、京子は部屋を出て行ってしまった。 龍麻一人を部屋に残して。 ─────恐らく、此処で龍麻が“帰る”と言う選択肢を選ぶのも自由なのだろう。 外に出るには、窓から飛び出す以外には、どの道一階を通らなければならない。 その時に挨拶をして帰れば良い。 けれども龍麻にそんな気はなく、しばらくは椅子に座ったままで京子が帰って来るのを待っていた。 どれ程の時間を待っていたかは、判然としなかった。 部屋の中には、音響機材や冷蔵庫等は置いてあるものの、時計と言うものが存在していない。 窓の外に僅かながら見える空の色程度しか、時刻を知る手掛かりはなかった。 しばらくはぼんやりとしているだけで良かったのだが、流石に持て余して来る。 慣れない場所、他人のテリトリーなので無作為に物に触れようとは思わない。 まして音響機材など、何処を触ればどうなるのかすらも判らないのだ。 下手な事をして壊してしまうのは良くない。 龍麻の足が向いたのは、楽譜やCDの納められた棚。 其処には既製の楽譜の他、“神夷”の曲であろう譜面が無秩序に散らばっている。 何枚かは整えられてクリップで纏められていたが、書き掛けなのか没なのかと思しき譜面はバラバラにされていた。 譜面の一枚を手にとって見るが、AだのCだのと言うコード表記では、龍麻には全く理解できない。 それでも何度も書き直されたり、紙がグシャグシャになった痕があるのを見ると、この場にいない面々が随分と悩んで作り上げているのだと感じられた。 (学校はサボってるのに) 今日の六時間目の前に、サボろうぜと言った京子の顔を思い出す。 可笑しくなって龍麻は笑った。 勉強は嫌いだと、京子は明言する。 机に長く座ってじっとしているのも嫌いだった。 けれど、音楽に関してだけは別らしい。 さっき悩んでいたのも、面倒臭いとは言っていたけれど、学校にいた時のように投げ出したりしなかった。 学校の音楽の授業には、一度も顔を出した事がなかったような気がするが。 龍麻は持っていた譜面を棚に戻して、別の譜面を手に取った。 ─────と。 ひらり、何かが譜面と譜面の隙間から滑り、龍麻の足元に落ちる。 拾ったそれは、綺麗な手書きの歌詞表だった。 京子も龍麻も携帯電話は持ってません。 持ってても、二人とも必要最低限しか使わないんじゃないかと思う。 二人とも長話とかしなさそうだし、インターネットに繋げてサイト閲覧とかも殆どしないんじゃないかな…… とか言う前に、京子の場合は壊しそうだ(笑)。 TERRITORY 04 部屋の扉が開く音がして、龍麻は顔を上げた。 京子は、部屋を出た時よりも、幾分すっきりとした表情をしていた。 椅子に座ってテーブルに置かれた譜面は、走り書きで幾つかのメモが記されている。 改めてメモを読める字に書き直すと、それでシャーペンを置いてしまった。 記されたコードの修正はない。 「直さないの?」 「いや、直すぜ。明日な」 変更は決まったが、どう変えるかは他のメンバーも交えて話し合う。 確かに、大事な新曲なのだから、一存で決める訳にも行かないのだろう。 とすっとパイプ椅子の背凭れに身を預けて、京子は龍麻を見た。 それは多分、なんとなくの行動だったのだろう。 それによって、京子は龍麻が持っている一枚の紙に気付いた。 「お前、それ」 テーブルを乗り出して覗き込んだ京子。 龍麻が持っていたのが歌詞表だと気付いて、眉間に皺を寄せる。 その表情に、龍麻は醍醐から聞いた話を思い出す。 自分が練習している場面を、人に見られることを良しとしない風がある事を。 「ごめん、見ちゃ駄目だった?」 「……いんや、別に」 謝罪する龍麻に、京子は否定して再び椅子に座る。 眉間の皺は消え、代わりに溜息のようなものが彼女の口から零れた。 龍麻が返却の意として歌詞表を差し出すと、少しの間を置いてから、京子はそれを受け取った。 歌詞表はそのまま京子の手の中に残り、京子はそれを見下ろしている。 その瞳の奥で、いつも強気な光が揺らいでいるような気がして、龍麻は首を傾げた。 「京─────」 「――――この歌詞」 どうしたの、と聞こうとした龍麻を、京子が遮った。 「この歌詞、どう思うよ?」 龍麻を見ないまま、歌詞表を見詰めたままで京子は言った。 問い掛けの真意を、龍麻は汲み取れない。 ─────この歌詞をどう思うか。 それは一般的な受け取り方を問うているのだろうか。 この歌詞が良いと思うか、共感出来るか、と。 だが、龍麻にはそれはどうも違うような気がした。 そんな事を聞くのなら、葵や小蒔、遠野の方がよっぽど向いているような気がする。 龍麻が読んだ歌詞は、一言で言えば厭世的な印象と言うのが、龍麻の感想だった。 沢山の人間が溢れる都会で生きる少女が、誰とも相容れることが出来ない、そんな苦悩を綴ったような詞。 慟哭のような言葉の中に、たった一つの温もりを求めているような。 虚無感と孤独感、そして無我夢中で愛を求める子供のような言葉が連ねられていた。 17歳の高校生が歌う詞にしては、かなり鋭角を狙ったもののように思う人間もいるだろう。 世相を反映したような、若しくは思春期特有の不安定さを表したような、そんな感想を抱く者も。 けれども、龍麻はそのどれにも当て嵌まらない。 「……これ、京が書いた歌詞?」 龍麻の問いに、京子は無言だった。 代わりに、鋭い眦が龍麻を睨む。 龍麻は質問を変えた。 「京はこの歌詞、嫌いなの?」 虚無感。 孤独感。 それでも、求めずにはいられない。 それでも、探さずにはいられない。 光を、温もりを、愛を与えてくれるであろう腕を。 思春期特有の不安定さよりも、もっと奥底から滲んでくるような、現実への恐怖。 無償の愛を無条件に欲しがる程に傲慢ではなく、ただ安らぎを求めているような、愛情への羨望。 ──────そんな自分が嫌いな少女の、詩(うた)。 「大嫌いだ」 はっきりと言い切る京子に、龍麻は何も言わない。 言わない、けれど。 (僕も、嫌い) だってこれは。 この歌は。 彼女の書いた歌じゃない。 彼女の為に、知らない誰かが書いた歌だ。 ────────彼女を知っている誰かが書いた、彼女の歌だ。 うちの京ちゃんって男でも女でも、どのパラレルでも、何処か荒んでいるような気がする(汗)。 普通に青春の真っ最中な京ちゃんも好きなんですけどね……何故かしら。 →UNKNOWN |