……たまには、そういうことの真似事ぐらいしてみようかと思っただけだ。 Handmade is glad. 前編 茹蛸になるんじゃないかと思うほど、真っ赤に顔を染めている彼女を見たのは、初めてだった。 第一印象こそ宜しくないものであったが、付き合いは既に三年になるのだ。 彼女自身が中々周囲と親しむ事を良しとしないものだから、同じクラスであっても、話をした事がないという人間が、一体何人いるだろうか。 そう言った背景を考えると、付き合いの長さも然る事ながら、彼女の中で醍醐は破格の扱いであった。 間にある空気は決して和やかなものとは程遠いが、会話もすれば、軽口だって叩く仲だ。 他者に比べれば、それなりに深みのある付き合いであったと言っていい。 増して三年生になってからは、あれやこれやと色々な物事が起きて、巻き込まれて。 春の間こそ彼女は中々枠の中に収まろうとしなかったが、それも随分落ち着いた。 葵に冷たく当たる事もなくなり、小蒔とはケンカ腰ではなく小学生同士の意地の張り合いのような会話をするようになった。 それもこれも、転校生のお陰であると言っていい。 それでも、やはり、付き合いの長さで言えば醍醐が一番長かっただろう。 しかし、初めてだったのだ。 目の前で、顔を真っ赤にして、照れ臭いのか恥ずかしいのか、とにかくそういう感情を必死に押し殺し、こちらを睨んでくる彼女を見たのは。 そして、尚且つ。 「醍醐―――――お前に、頼みがある」 誰にも頼らない、まして男になんて尚更。 そんな彼女だから、醍醐はうっかり目を点にしてしまったのだった。 今日一日の授業の終了を知らせるチャイムが鳴り響く。 それを聞いた3-B担任のマリア・アルカードは、よく通る声で「good-by!」と朗らかな笑顔で挨拶を告げた。 生徒一同の返事の挨拶を背中に聞きながら、英語教師はひらひらと手を振って教室を後にした。 ぴしゃりと教室の出入り口のドアが閉まる。 それとほぼ同時に、立ち上がった人物がいた。 今日一日の授業が終わってホッと一息、早速ざわめき始めた教室の、一番端。 基本的に、生徒が何処の位置に席を落ち着けようと、それは自由だった。 しかしやはり窓際に留まる生徒はいるもので、この真神学園3-Bにもそれは存在する。 一番後ろの位置に落ち着いているのは、今年の春に転校してきた緋勇龍麻。 その前を定位置にしたように落ち着いているのは、校内有数の不良生徒――――蓬莱寺京子であった。 前に座っている彼女が立ち上がれば、当然、後ろに控えている龍麻はそれに気付く。 顔を上げて京子を見た龍麻は、いつものふわふわとした笑みを浮かべ、 「京、どうしたの?」 授業から解放されて、彼女が一目散に教室を飛び出て行く事は珍しくない。 それも教室の出入り口からではなく、地上三階という高さに位置する窓から、グラウンドに向かって。 スカートが捲れようがなんだろうが関係ない(一応スパッツは穿いているが)と、実に男らしい少女であった。 だが今日は席から立ち上がりこそしたものの、動かない。 後ろにいる龍麻に声をかける事もなく、何かを迷うように其処に留まっている。 いつもと違う京子の様子に、龍麻が首を傾げるのも無理はなかった。 反応を待っていると、京子は少しの間俯いた後、ぶんぶんと首を横に振った。 迷いを断ち切っているような仕種だった。 「京?」 「あっ!? な、なんだッ!?」 もう一度呼びかけると、京子は引っ繰り返った声を上げて振り返る。 彼女らしからぬ反応に、龍麻は益々首を傾げた。 「なんだって言われても……京の方こそ、どうしたの?」 「どーしたって…何が」 「なんか変だよ。あ、もしかしてお腹空いてるの?」 彼女がそれを恥ずかしがるような性格でない事を、龍麻は知っている。 何せその辺の男よりも男らしい性格をしているのだ、この京子と言う人物は。 けれど、それ以外に京子が不審な行動を取る理由が思いつかなかった。 「じゃあ、早くラーメン食べに行こっか」 「え、あ、いや、その……」 馴染みのラーメン屋に行く事を提案すれば、いつだって京子は上機嫌になった。 無類のラーメン好きで、尚且つあのラーメン屋は京子の大のお気に入りの店。 昨日も食べに行ったばかりだけれど、京子が喜ばない筈がない。 と、龍麻は思っていたのに、また京子は不自然な反応。 ラーメン屋に行くのが嫌な訳がないだろうに、いつものような笑顔が返って来ない。 更に、龍麻は首を傾げる事になる。 そのまま首が綺麗に90度まで曲がるんじゃないかと思うほど、龍麻が首を傾けた時だ。 「なんだ蓬莱寺、帰るのか?」 龍麻と京子の会話に入ったのは、醍醐雄矢だった。 「醍醐君」 「緋勇、帰るのか?」 「うん、僕はそのつもり。京も一緒に帰るよね」 龍麻と京子、二人並んで帰るのは、龍麻が転校してきた時から続く光景だった。 今となっては二人セット、ニコイチ状態が周囲から見ても見慣れたものになっている。 だから龍麻は、自分が帰るのだから、京子も帰ると信じて疑わなかった。 少なくとも、校門までは一緒だと。 しかし、 「すまん龍麻ッ、今日はラーメン、パス!!」 「え?」 「醍醐、行くぞッ!!」 言うなり、京子は醍醐の腕を掴んで、教室を飛び出してしまった。 少しの間、廊下で騒がしい声やら音やら、注意の声やらが飛んでいたけれど。 それらは何一つとして、龍麻に聞こえてはいなかった。 そしてそんな放課後の遣り取りは、一週間続いたのである。 真神学園校舎の屋上。 フードを目深に被って、屋上端のフェンスに寄りかかり、体育座りをし、苺牛乳を飲む緋勇龍麻の姿に、葵・小蒔・遠野の三人はかける言葉が見付からない。 いつだってふわふわとした柔らかい笑みを浮かべている、それが彼女達の知る緋勇龍麻という人物であった。 不思議なスイッチでその喜怒哀楽が類を見ない程激しく変化する事はあるが、しかし此処まで落ち込んだ姿は滅多にないものだ。 以前、お気に入りの味の苺牛乳が飲めなくなった事に、それはそれは嘆き悲しみ、ベコベコに凹んだ事がある。 その時と同じ位、今の龍麻はベッコンベッコンに凹んでいる――――ように見える。 龍麻のこのテンションは今朝から続いており、この昼休憩に入ってどん底まで落ちた。 彼がこんなに落ち込むことがあるなんて、と、殆どのクラスメイトは思っただろう。 しかし、この場に集まった女性陣は、はっきりきっぱり、龍麻のこの凹み具合の理由が判っていた。 その理由はただ一つ。 緋勇龍麻の恋人である、蓬莱寺京子が、此処数日、ぱったり彼と交流を断っているのである。 「ひ…緋勇君……」 葵がなんとか元気付けようと試みるも、触れる事すら躊躇われる。 龍麻の凹み具合は、それ程に激しいものだったのだ。 こんな状態の龍麻に遠慮なく声をかけ、尚且つ復活させる事が出来る人物はただ一人。 この場に不在であり、龍麻を此処まで凹ませている原因である、恋人の京子のみだ。 誰か彼女を此処に連れて来てくれ――――と各々願うも、誰も動けない。 何せ、彼女に交流を絶たれているのは龍麻だけではない、この女性陣も同様なのだ。 龍麻よりは幾らか会話をしてくれるものの、此処数日の行動について問おうとすると、脱兎の如く逃げてしまう。 京子にしては珍しい反応だったので、益々心配(遠野の場合は興味である)が募るものの、結局未だに聞けずじまいだ。 避けられる理由が少しでも判っていれば、何事かの慰めの言葉も浮かんできそうなものなのだが、生憎情報は全くの皆無。 此処暫くの京子の用心深さと警戒心は、常の何倍も尖っているようで、遠野の追跡さえかわす程である。 空になった苺牛乳のパックが、ベコリと音を立てて凹んだ。 なんだかそれが龍麻の心情を粒さに表しているようで、三人は見ていられなくて眉を潜める。 大好きな苺牛乳がなくなって、大好きな彼女がこの場にいなくて。 二重苦に堪えられなくなったのか、龍麻が長い溜め息を吐く。 「……京、僕のこと嫌いになったのかな……」 「「それはない!!」」 ぽつりと漏れた龍麻の言葉に、小蒔と遠野が揃って言った。 「……そうかなぁ」 「そう!」 「…そうかなぁ……」 「うんうん!」 「……そうだといいけど……」 「大丈夫!」 「あたし達が保障する!」 此処で一つでも不安要素を見出したら、龍麻は再び地の底に沈んでしまうに違いない。 いつもふわふわとした笑顔を見ているだけに、その姿は誰も見たくはないだろう。 この場にいない京子だって。 必死さが滲み出る程の勢いで頷く遠野と小蒔に、龍麻は、ようやく小さな笑みを浮かべる。 自分達でも気休め程度になった事にホッとして、遠野は改めるように咳払いを一つ。 「それじゃあ、落ち着いた緋勇君に、朗報です」 「なに?」 フードから苺ポッキーを取り出しながら、龍麻は問い返す。 遠野はポケットから愛用のデジカメを取り出すと、メモリを探り始めた。 電子音が何度か続いた後、ハイ、と差し出される。 受け取って見た液晶画面には、後姿の恋人が映っている。 「京だ」 「昨日、ようやくイイ所まで探れたの。あ、此処のボタン押して。次の画像が見れるから」 言われた通り、示されたボタンを押す。 また恋人の後姿、しかし背景が違う。 先ほどの撮影場所から移動している事が判る。 続けてボタンを押していくと、彼女の後姿はそのままで、背景だけが変わっていく。 時折ピンボケやブレた写真も混じっているが、判別がつかない程ではなかった。 いつも人の気配に敏感な筈の少女は、気付く様子はない。 ……さすが遠野。 (教室直ぐの廊下、一番近い階段、階段の踊場、下の階……) ほぼ一分おきの感覚で、写真は撮影されている。 静止画なのに、動画を見ているような気分になって来た。 (渡り廊下……) 背景から場所を察しながら、ボタンを押す。 しばらくは龍麻がデジカメを操作する音が続いた。 ―――――それがふと停止して、葵と小蒔はどうしたのかと、龍麻の手の中のデジカメを覗き込む。 「醍醐君?」 見知った人物が画像に映っていて、その名を呟いたのは小蒔だった。 此処は真神学園であり、彼も此処の生徒。 醍醐が校内の何処にいようと不思議ではない。 しかし、龍麻は気付いた。 それまで歩いている風だった写真の恋人の足取りが、僅かに駆け寄る形になっているのを。 「そういえば京、最近ずっと醍醐君と一緒にいる………」 龍麻の呟きに、小蒔と葵が目を合わせた。 龍麻の言葉は事実だ。 醍醐と京子は、もともと付き合いも古く、仲が良い。 当人たちに言えば京子は首を振って否定するだろうが、少なくとも、他者からはそう認識されている。 龍麻が真神へやってきた当初からも、京子は、龍麻がいなければ一人でいるか、醍醐と雑談をしているか。 他に京子が親しく会話をする人物もいなかったから、そういう結果になっていたのだろう。 今となって歯は葵、小蒔も輪の中に加わり、遠野も参加するのが“いつものメンバー”“鬼退治部”となっている。 六人揃って行動することが増えると、京子と醍醐が二人で会話をする場面を見なくなった。 特に京子が龍麻と恋仲に落ち着いてからは、特に。 それが此処数日、京子が龍麻との交流を避けるようになってから、京子は何かと醍醐に話しかけるようになった。 付き合いの古い間柄である。 醍醐は京子を他の女子生徒のように扱わないから、京子も気が楽なのはあるだろう。 しかし、しかしだ。 これでも一応、龍麻は京子の恋人である。 惚れに惚れた相手だ。 それが友人とは言え、恋人を差し置いて他の男と一緒にいるのを見るのは、やはり余り気分の良いものではない。 トーンの落ちた龍麻に、遠野が慌てたように話を再開させる。 「そ、そーなの、そうなんだけど! ほら、次の画像!」 「次、次だってさ、緋勇君。押すよ? いいね?」 「……………」 「あの、アン子ちゃん、何が朗報なの?」 このままでは、朗報ではなく、まるっきり悲報である。 どう考えてもやばい方向に話が進んでいないか、と葵が遠野を急かす。 「あのね、あのねッ。見て欲しいのは、これ!」 龍麻の横合いから遠野が手を伸ばし、デジカメを操作する。 数枚、二人並んで歩く写真が続いた後、遠野はある一枚の画像を映した。 それを見下ろす龍麻の表情は、至って無感動的なもの。 無理もない、写真に写る二人は、笑いあってこそいないものの、決して悪くはない雰囲気だった。 龍麻の反応を窺いながらでは埒が明かないと気付いたのだろう。 遠野は続けた。 「どうやら、毎日この辺りの教室に通ってるみたいなの」 「毎日?」 反応したのは葵だ。 「京子ちゃんと、醍醐君が?」 「二人で? ……それって京子――――」 「小蒔ッ」 うっかり言ってはならない一言が漏れそうになった小蒔を、慌てて葵が制した。 小蒔も現状を思い出し、チラリと黙ったままの龍麻を見遣る。 ……一切の反応がないのが返って怖い。 「部活してる子とかに聞いてみたら、毎日二人で通うらしいの。一週間前からね」 「一週間前……丁度、京子が付き合い悪くなってきた頃だね」 「醍醐君もよね。二人ともどうして……」 「先生に聞いたら、二人とも規定の下校時刻ギリギリまでいるのよ。で、緋勇君ッ!」 「………………………え?」 名を呼ばれ、たっぷりと間を開けてから、龍麻はようやく顔を上げた。 遠野はデジカメを間近に近づけ(近過ぎて画像が見えない)、 「緋勇君、此処が学校のどの辺りだか判る?」 「何処って……」 遠野の手からデジカメを受け取り、龍麻は画像に映る恋人と友人と、背景を見る。 最初に見せられた画像から、ずっと連動して取っているなら、それが京子の軌跡になる筈だ。 途中からは半ば眺めていただけだった画像を、記憶の中から取り出してみる。 真神学園の第一・第二校舎は、主に普通の教室と各教科の教員室が各階に設けられている。 音楽室や理科室などの科目別の教室は、第三校舎に集中して作られていた。 まず3-B教室、出て直ぐの廊下、一番近い階段を下に下りて、渡り廊下で隣の校舎へ。 そのまま真っ直ぐ進んで、もう一度渡り廊下、第三校舎へ。 「……第三校舎の二階?」 「その通り!」 辿り着いた答えは正解だったようで、流石! と遠野は拍手をする。 「此処から先は気付かれちゃって、尾行出来なかったんだけど、場所の限定は出来たのよ」 今まで、京子が何処で何をしていたのか、誰も聞いていない。 問おうとすれば京子本人が逃げてしまい、醍醐に尋ねようとすると京子が割り込んできて、醍醐を連れて行ってしまう。 あからさまに隠し事をしているのがバレバレなのだが、彼女は彼女なりに必死に隠しているつもりらしかった。 それを此処まで知ることが出来たのなら、確かに凄い事ではある。 「でね、今、この時間も其処に行ってるみたいなの」 遠野の言葉に、龍麻、葵、小蒔が顔を上げる。 揃って彼女の顔を見れば、キラリと眼鏡が怪しく光る。 ――――――スクープを嗅ぎ取った瞬間の顔だった。 まさか、と小蒔が呟く。 またキラリ眼鏡が光り、 「今から其処に行ってみない?」 やっぱり―――――と言うのが、小蒔と葵の感想だった。 其処まで追い詰めておいて、完全にジャーナリスト魂に火がついた遠野が諦める訳がないのだ。 始まりは勿論、興味もありながら、龍麻と京子の仲を心配したのだろう。 が、追いかけている内に、京子の徹底した警戒と競り合いながら、京子曰く完全にパパラッチ化したのは想像に難くない。 頭の天辺から、足の爪先まで、ジャーナリスト根性で作られている少女である。 故にスクープを狙って土中に埋まったり、気配もなく人の机の下から現れたり出来るに違いない。 京子は場合によってはストーカーだと、遠野のこの記者根性に余り良い顔をしない。 鬼の事件が多発する今となっては、遠野の情報力は何よりの頼りだが、それでも危険を冒すことを京子は赦さなかった。 ――――自分自身の事は完全に棚上げしているので、遠野はちっとも納得しないし、引き下がらないが。 だが龍麻は、今この瞬間、遠野のその記者根性に感謝したい気分だった。 「行けるの?」 龍麻の言葉に、遠野の目が輝いた。 「もっちろん! そりゃ見付かっちゃったらお終いだけど、何処かの教室に入ったら、もう移動しないみたいなの。今のうちなら探り放題よッ」 つまり、彼女の動向を探るのなら今がチャンスと言う事だ。 別に、彼女を疑っている訳ではない。 龍麻とて後ろめたい感情がある訳ではない。 ないけれど、やっぱり気になるのだ。 ――――――恋に堕ちた男とは、偉大であり、愚かな生き物であった。 次 |