開いたアルバムが色褪せることのないように 今この瞬間、輝いて Seaside school T 真神学園の生徒は、現在、東京から離れた海へとやって来ている。 夏の間の授業の一環として、一週間の臨海学校が行われたのである。 見渡す限り続く蒼い海と空、白い砂浜と雲に、照り付ける夏の太陽。 東京と言う大都会の真ん中に暮らす生徒達は、バスの中でそれらを見つけるや否やテンションはうなぎ上り。 バスを降りれば海からの風で潮の匂いが運ばれて、自分達が“授業の一環”として此処にきた事をすっかり忘れて諸手を振って大はしゃぎした。 そんな生徒達を教師陣は困ったような呆れたような、微笑ましいような面持ちで眺めていた。 生徒達はそのまま海に飛び込んでいきそうな勢いだったが、流石に其処まで子供ではなかった。 担任が号令をかけると、海の景色に後ろ髪を引かれつつも集合し、予約されていたホテルに向かう。 其処で荷物を置いて注意事項諸々を聞けば、暫くは遊べるのだから。 かくて、荷物をホテルに置いて、先生からの注意事項と、一週間の予定を聞いた後。 ようやく解き放たれた生徒達は、皆揃って海岸へと駆けて行ったのである。 広い浜辺の中で、水着姿の学生たちが所狭しと駆け回る。 準備体操もそこそこに飛び込んでいった男子生徒に続いて、女子生徒も可愛らしい声をあげながら波に入った。 他にもビーチバレーに興じる生徒や、早速浜辺に埋められている生徒等、様々に海を満喫していた。 ―――――そんな中で一人、高台の影になっている場所に座っている男子生徒が一人。 海パンには一応着替えたものの、薄手のパーカーを羽織り、海に向かう気を全く見せないのが、緋勇龍麻である。 日焼けが気になる訳でも、金槌と言う訳でもない。 ただ彼の場合は、皆とは少し楽しみ方が違うだけの事だ。 一緒にバレーボールをするのも悪くはないが、遊びまわる友人達を見ているのが龍麻にとっては楽しいのだ。 クラスメイト達を眺める龍麻の手の中には、苺味のアイスがあり、中身は殆どなくなりつつあった。 その傍らには同じ品物を大量に買い込んだままの袋が置いてある。 クーラーボックスに入れなければ溶けてしまうのに、龍麻はそれを全く気にしていない(溶ける前に食べる気だからだ)。 しかし、そんな龍麻の予定をあっけなく覆す人物が、此処にはいる。 「おい、龍麻」 かかった声に顔を上げると、京子が其処に立っている。 彼女は夏のプール授業で着ていたスクール水着ではなく、黒に緋色の桜が咲いたビキニ姿と言う姿をしていた。 けれど、紫色の太刀袋は相変わらず手放していない。 明るい色の髪色と血色の良い肌は、バックに背負った夏の青空によく映える。 一度水を被ってきたのか、きめの細かい肌の上で、小さな水滴が踊っていた。 空から降り注ぐ陽光を反射させる水滴が、まるでライトのように京子を照らしてみせる。 いつも碌に手入れをしていない髪も、今は水分を含んでしっとりと落ち着いている。 最も、彼女はそんな事は全く頓着していないだろうけど。 アイスのスプーンを口に咥えたまま、龍麻は京子をじっと見上げていた。 無遠慮なほどに見つめているように思えなくもないが、其処は相手が京子である。 龍麻のこういう行動には慣れていた。 「お前ェ何してんだよ、ンなとこで」 「アイス食べてる」 「ンなこた見りゃ判る」 聞きたいのは其処じゃねェと言って、京子は龍麻の頭を叩く。 「お前も海行ったらどうだっつってんだよ」 「んー………」 叩かれた頭を擦りながら、龍麻は生徒達がめいめい走り回っている浜辺を見遣る。 特に見慣れたいつものメンバーの三人は、ビーチバレーに興じている。 それを遠目に見てあちらこちらへ忙しなく駆け回っているのは、カメラ片手の遠野であった。 白波が寄る波打ち際には、生徒達に混じってマリアの姿があり、他にも数名の教師がいる。 皆それぞれに楽しそうで、其処に混じるのも良いかなと思わないでもない。 けれども、龍麻は結局、アイスにまた口を付けて、 「僕はいいから、京、行っておいでよ」 龍麻のその言葉に、京子は判り易く眉を顰めた。 「なんでェ。日焼けすんの嫌とか女々しい事言うんじゃねェだろうな」 「それは別に……でも、暑いのは苦手かな」 「ンなもん海に入っちまえば関係ねェだろ」 傍らにしゃがんで目を窄める京子に、龍麻は動じない。 京子が何を言わんとしているか、判っていない訳ではなかった。 折角海に来たのだから楽しまなきゃ損だろうと、彼女なりの親切心である事は気付いている。 言えば勿論、真っ赤になって否定して、誘うのも止めて一人海に向かうのだろうけど――――それはそれで彼女が此処から離れてしまうから、はっきりと断る気にもならなくて、勿体なくてどうしたものかと考える。 「水に入るまでって熱いし」 「ちょっとの距離だろうが。どんだけ物臭だ、テメェ」 「アイスも買っちゃったし」 「……買いすぎだろお前、コレ……」 冷たくなっている石の上に置いていた、コンビニ袋。 中に詰まっているアイスの山に、京子は呆れ返る。 「まさかお前、コレ全部食うまで此処から動かねェつもりか?」 「だって溶けちゃうし」 手に持ってみればずっしりとした重みを乗せたコンビニ袋を手に、京子は長い溜息を吐いた。 苺味の食べ物を龍麻から取り上げる事は、原則ご法度である。 過去にお気に入りの苺牛乳が飲めなくなった事件や、雨紋の誕生日の時に彼が故意でなく貰った苺を落としてしまった事件等――――― とにかく、龍麻の前で苺に関するものを無碍に扱う事は、自分の明日の陽の目が拝めない事に繋がるのである。 それを重々承知している京子は、どうしたものかと指だけで持つには重いビニール袋を眺めて考える。 つーかもう幾つか溶け始めてねェか、とじっとりと水滴の滲んでいる中身を覗き込んで思った。 幾ら此処が日陰になっているとは行っても、周りの気温は暑い事には変わりないのだ。 袋には保冷剤も幾つか入れられていたが、それも既にギブアップ気味になっている。 せめて誰かのクーラーボックスでも借りれば良いものを――――――そう考えて、はたと京子は気付いた。 「溶けなきゃいいんだな?」 「?」 「溶けるから今食おうとしてんだろ。だったら、溶けねーようにして、急いで食う必要もねェようにすりゃいいんだ」 言うなり、京子は持っていたアイス入りの袋を持って龍麻に背を向けて走り出す。 急なことに一瞬ぽかんとした龍麻であったが、直ぐに我に返って京子を追った。 幸いな事に、龍麻がさっきまで食べていたアイスは、綺麗に空っぽになっていた。 「京!」 「おう、出て来たな」 京子を―――正確にはアイスをか―――を追いかけて、日陰から飛び出して来た龍麻。 それを肩越しに振り返って確認すると、京子は追いつかれないようにスピードを上げた。 「苺」 「別に捨てる訳じゃねーから心配すんな!」 大事な苺アイスがどうかされてしまうのではと、不安そうに眉根を寄せる龍麻に、京子はまるで無邪気に笑う。 走りながら、京子はビニール袋の口を持ち手で結んだ。 簡単には解けないように、確りと。 そして結び目を持って、不安定な筈の砂地でしっかり立ち止まると、 「オイ、犬神ィッッ!!」 普段は決して自ら近付こうとしない人物の名が、京子の口から飛び出て、龍麻は少し驚いた。 が、もっと驚いたのはそれからの京子の行動だ。 手に持ったビニール袋を、思い切り振りかぶって犬神に向かって投げたのである。 そこそこ勢いのついた大きな球を、犬神は片手で受け止める。 「……蓬莱寺か。なんだ」 「それクーラーボックス入れとけよ。じゃねェと後どうなるか知らねーぜ!」 「苺ー」 「お前ェはこっちだッ!」 犬神に一方的に言いつけると、京子は後ろから苺アイスを追ってきた龍麻のパーカーを捕まえる。 阻まれたにも関わらず尚も行こうとする龍麻に、今度は京子はその腕を掴む。 逃がさないように抱え込むように両腕を絡めると、柔らかな感触が龍麻の腕を包んだ。 「京、ちょっとそれは…」 「ンだよ。いいからオメーはこっち来いッ」 「苺アイスー」 「犬神、それ溶かすなよ!」 最後にもう一釘を刺して、京子は力任せに龍麻の腕を引っ張る。 「随分溶けているようだが」と言う犬神の声は聞かずに。 ぐいぐい引っ張る京子の腕を、龍麻は振り払わない。 意外に龍麻の抵抗が弱いことに、京子は気付いていなかった。 その気になれば容易く振り払える京子の腕を、龍麻が寛容しているのも無理はない。 逃がさない為にと京子が捕まえた龍麻の腕は、彼女の柔らかな胸元にしっかりと当たっている。 普段他の男子生徒と“バカな話”に加わらない龍麻でも、これには堪える。 思春期の高校生男子なのだから仕方がない――――表情は全くそんな風を見せないが。 ズルズルと龍麻を引き摺り、京子が赴いたのはバレーボールに興じるクラスメイト達の下だった。 「おい、醍醐!」 丁度一試合が終わって休憩していた所だったらしい。 気の知れたメンバーで集まって話をしていた醍醐を、京子はよく通る声で呼びつけた。 声を聞いて醍醐が振り返り、倣って葵と小蒔も此方を見る。 「蓬莱寺……と、緋勇?」 「醍醐、手ェ貸せ!」 「何?」 京子の要求が汲み取れずに、醍醐が首を傾げる。 しかし、にやにやと悪い笑みを浮かべている京子に、少々の間はあったものの大体の察しがついた。 長い付き合いである事をこんな所で垣間見て、龍麻は少し複雑な気分になる。 ――――なるが、それに浸っている暇はまるでなかった。 「おら、パスッ!」 「わ」 掴んでいた腕を引っ張り、勢いそのまま、京子は龍麻を醍醐の方へと放った。 解放されたと一瞬思ったら、次には体が浮遊感と不安定さに襲われる。 周りで見ていた女の子達が悲鳴のような声を上げた。 「あれ?」 「悪いな、緋勇」 「醍醐君?」 自分の状況が掴めずにきょとんとしている龍麻。 数瞬考えて、醍醐に軽々と抱え上げられている事に気付いた。 凄いな。 醍醐君って僕でも持ち上げられるんだ。 還って冷静になり過ぎて、ズレた事を考えている自覚はあった。 あったけれども、かと言って現状をどうにかしようとも思えない。 下手に暴れた方が、落ちてしまって怪我をする。 それよりも、自分がこうなる要因を作ってくれた彼女はと言えば、相変わらずにやにやと悪い笑みを浮かべて此方を見ていて、 「――――――うぉりゃああァァッッ!!!」 「―――――わ、」 醍醐の雄叫び一つ響いて。 龍麻は勢い良く、中空へと放り投げられた。 視界が青になって蒼になって、また青になって、もう一回蒼になり。 周りから悲鳴のような声が聞こえたり、腹を抱えて笑う声がしたり。 かと思っていたら、それらは全部泡の音に消えて。 首の周りにまとわりつくものがあって、それがパーカーである事を思い出す。 耳の中でぽこぽこと音がするのが泡で、ああ水の中なんだと気付いた。 取り敢えず、このままでいると鼻が痛い(多分水が入った)ので、水から上がる事にする。 落ちた場所は深くはなかったく、立ち上がっても足の膝下程度までしかないだろう。 だから、足をついて直ぐに自ら出ることが出来た。 ――――――が。 「ぷはっ」 「おらぁッッ!!」 「え? ――――わぷっ」 ようやく息が出来たと思ったら、何かが降って来た。 派手に水の跳ねる音がして、持ち上げた筈の頭が再び水の中へと落とされる。 水飛沫が立ったのが自分の下であると、一瞬気付けなかった。 口の中が塩っぽい水が一杯になって、クリアだった視界がまた水だけになる。 潮水で目が痛くなって目を閉じる間際、すぐ傍で笑う恋人を見た気がした。 もう一度、水の中から脱出して。 それと同時に隣で高い笑い声。 「あははははッ! どーでェ、龍麻ッ」 「どうって……京〜……」 悪戯が成功した子供のように笑う京子に、龍麻は海の中に座り込んだまま気の抜けた声しか出ない。 落ち着いてみれば、何がどうなったのか、なんとなく判った。 最初に醍醐に海に放り投げられて、ようやっと顔を出せたと思ったら、京子が追い討ちをかけてきたのだ。 無防備だった目も耳も鼻も痛いし、口の中は塩味で一杯で、脱ぎ損ねたパーカーはびしょ濡れ。 ついさっきまで、龍麻が波打ち際にも近寄っていなかったとは誰も思うまい。 あちこちから笑い声が聞こえてくる。 辺りを見回せば、当然と言えば当然に、生徒達の視線は龍麻と京子へ集まっていた。 なんだか恥ずかしくなってパーカーのフードを手繰ろうとして、 「小蒔、お前ェも来い!」 「よーし! ほら、葵もおいでッ」 「え? 桜井さん、ちょっと待って――――」 龍麻が止める声など聞こえる訳もなく。 京子が言い終わるよりも早く、小蒔が駆け出し、京子と同じように跳ぶ。 すぐ傍に着地されて、また水飛沫が上がり、龍麻はそれを頭から被った。 一拍遅れて、小さな水の飛沫が飛んだ。 見れば小蒔の隣に葵がいて、眉尻を少し下げながらも、楽しそうに笑っていた。 「醍醐君もおいでー!」 浜辺で一同を眺めていた醍醐に、小蒔が手を振って声をかける。 醍醐はどきりと赤い顔をして、ドギマギした。 いつまで経ってもウブな醍醐にクツクツ笑って、京子も醍醐を此方に誘った。 「おう、来い来い醍醐! もう一発やってやれ!」 「――――おォ、よし!」 「ふふ、頑張ってね、緋勇君」 「……やめてよー……」 龍麻の弱々しい抵抗も虚しく。 それからしばらくの間、五人でもみくちゃになったのは言うまでもなく。 勿論、シャッターチャンスを逃さない遠野に確りと撮影されて。 びしょ濡れになったパーカーに、明日までに乾くかなァと考えたり。 アイス溶けてないかなあと心配になったり。 ――――――それでも、隣で笑う恋人に、まあいいかと今は思う事にした。 U 色々書きたいと思って、どうも長くなりそうなのでプチ続き物です。 青春真っ盛りの夏を書きたいと思ってます。 書きたかったのは、京子の苺アイスぶん投げ。後が怖いぜ(ふふふ…)。 それと、醍醐に放られた龍麻に追い討ちをかける京ちゃんです。 ちなみに、龍麻の腕を捕まえた時、京子は自分の胸が当たってた事なんて知りゃしません。 |