Seaside school U





一日目はすっかり遊ぶ時間に費やされて。
一頻り遊んだ後はホテルで用意された食事を平らげて、臨海学校最初の夜は比較的平和に更けて行った。



そして夜と同じく平和に迎えられた、臨海学校二日目。
健康的にラジオ体操をして(殆どの生徒がやる気なし)、眠気眼を擦りながらの朝食を終えて。

腹も膨れて睡魔もそろそろ飛んだだろうと言う頃合に、男子と女子と別々に集合がかかった。





男子が集められたのは、昨日遊んだ浜辺から少し離れた場所にある、別の海岸。






此処に来る途中まで女子も同じ道程にいた。

学校行事の一環とは言え、生徒達は制服ではなく、季節に合った夏の私服を着込んでいる。
女子の中にはミニスカートやホットパンツと言う姿もあり、またこれも水着姿とは一線を画し、学校では中々お目にかかれないだろう大胆な服装の生徒もいて、男子生徒の視線を集めていた。


龍麻の恋人である京子はどうであるかと言うと、元々お洒落なんてものに興味のない彼女だ。
周囲の女子生徒がどんなに着飾っていようがお構いなしで、半袖のシャツとカーゴのショートパンツ、片手にいつもの通り木刀がある。

他の生徒に比べて露出の少ない京子であったが、腕を捲ったり裾を寄せて結んでヘソを出していたりする。
おまけであの大きな胸が歩く度に揺れるものだから、男子生徒の視線が其処に集まり、龍麻は時折眉を寄せた。
……忠告したところで彼女は本当に無頓着なので、言わずにいたが。

そんなものだから、途中で道が分かれた時には、少しの寂しさの反面、ほっとしていたりもした龍麻である。





女子と別々になってしまった事を残念がる男子生徒を他所に、臨海学校ならではの授業が始まった。
地引き網を使っての漁体験だ。


真神学園の生徒は、殆どが都会の真ん中で育った子供だ。
こういった体験は滅多に出来ず、テレビぐらいでしか見た事がないと言う生徒も少なくない。
龍麻は少し前まで両親と田舎に住んでいたが、それは山の中だったし、海の体験は殆どなかった。

左右二つの班に分かれて、準備する。
生徒達は渡された網のロープの重みに驚いたり、大漁だったらいいなと期待を膨らませて盛り上がった。






「頑張ろうね、醍醐君」
「ああ。頼むぞ、緋勇」
「うん」






龍麻の班は、先頭に醍醐が立って、そのすぐ後ろに龍麻がいた。

ロープを持って先生役の漁師達から合図がかかるのを待つ。
待っている間は皆期待しつつも退屈らしく、あちこちで喋る声が聞こえた。
それは龍麻と醍醐も例に漏れず、






「京に聞いたんだけど、女の子は料理やるんだって」
「料理か……蓬莱寺は退屈だろうな」
「地引き網の方がいいって言ってた。醍醐君は、料理の方が良かった?」
「海女さん達の料理にも興味はあるが、こっちはこっちで面白そうだからな。俺はどっちでも構わなかったよ」






京子がこの発言を聞いたら、「だったらオレと代われ!」と言い出すのは間違いない。
とにかく、彼女の料理との相性の悪さと言ったらないのだから。

きっと今頃はもう駄々を捏ね始めていて、葵が一所懸命宥めているのだろう。
いや、駄々を捏ねているだけならまだ良い方か。
見ているのもその内飽きてしまって、料理をサボって此方に来る可能性もある。

―――――とにかく、彼女が最後まで料理に身を投じているとは、龍麻には到底思えなかった。






「醍醐君は嬉しいよね」
「ん? 何だ?」
「だって桜井さんの手料理が食べられるかも知れないし」






げほっ、と。
醍醐が噎せ返り、その耳は真っ赤になっている。


醍醐はいつも小蒔に部活の差し入れと言って何かしらの料理を作って持っていく。
しかし、お返しにと小蒔から醍醐にたまに渡されるのはコンビニで買ったお菓子が殆どだ。
それも醍醐にとっては嬉しい事だが、やはり手料理となると訳が違うか。

出来上がって持ってこられた料理が、焦げていたり歪だったりしても、そんなものはご愛嬌だ。
龍麻だって京子が一所懸命作ってくれたものなら、見た目がどんなに歪でも食べる自信がある。
―――――生憎、京子はよっぽどの気紛れを起こさない限り、早々頑張ってはくれないのだが。




咽る醍醐の背中をぽんぽんと叩いてやる。
咳き込む原因を作ったのが自分である事など、既に龍麻の頭には残っていなかった。






(手作り料理かぁ)






目の前の大きな背中を叩きながら、龍麻は別れ際の京子の顔を思い出す。
始める前から既に相当面倒臭そうな顔をしていたのを。

彼女が今日の日程の話を聞いた時から、乗り気でなかったのは判り切っている事だ。
それでも何か作ってくれたら、食べてみたい。






(京、作ってくれないかな)







思いながら。
多分無理だろうなぁ、と思って苦笑する。





合図の声がかかって、全員で一斉に網を手繰り寄せる。

手に怪我をしないようにと配られた少し集めの手袋越しに、網の重みが食い込んでくる。
足をしっかりと踏ん張って、出来る限りの力でロープを引いた。
綱引きをやっているような気分になってきて、誰かが気合の声を上げると、全員がそれに続く。



次第に並の隙間に網の中間が見えて来ると、生徒達はもう一踏ん張りと奮闘した。



ずっしりとした重みだけがあった網に、魚の跳ねる振動が伝わる。
波打ち際まで網が上がると、その中に囲われた魚が大漁に跳ねていた。
生徒の興奮は益々高まって、あちこちで高揚した声が上がる。










『せーの!!』











最後にもう一度、大きく声を上げて強く網を引く。
班の後ろの方で網を引いた生徒が勢い余って何人か転んでいた。



疲れて座り込んだ生徒が数人、手の痛みを和らげようと手振りをしている生徒が数人。
それ以外の生徒は、網の中で暴れる魚達の傍へと駆け寄る。

浜辺に揚げられたばかりの魚達の中から、小魚や稚魚だけを選別して海に帰す。
その傍らで、生徒達は跳ね回る魚達の種類について首を傾げていた。


跳ねる一匹を龍麻が捕まえる。
手の中でばたばたと逃れようと暴れる魚を、離して落とさないように気をつけながら。

誰かが女子のような悲鳴を上げて、その生徒はどうやら魚のぬめりに驚いたようだった。
醍醐はと言えば、やはり料理で魚を捌くこともあるからだろう、慣れた手付きで一際大きな魚を掴んだ。
多分、今の彼の頭の中は、どうやって魚を美味く捌くかで一杯なのだろう。






「すっげー、大漁だ大漁!」
「うわ、ヌメヌメする! なんだこいつ!」
「おい、カニだカニ! ほらほら」
「こっち向けるなよバカ、挟まれるだろッ」






太陽の光を受けて反射する魚は、いかにも新鮮で美味しそうだ。
龍麻が田舎に住んでいた頃は、辺りにあるのは山ばかりで、海魚はあまり縁がなかった。
川魚も悪くはないが、この大海に泳ぐ魚もきっと美味しいのだろう。

冷凍して両親に送ろうか。

そう思ったが、臨海学校が終わるまでまだ五日もある。
流石に鮮度が落ちるような気がして、それは勿体ない気がした。


でも折角だから、山にはないものを見せてあげたい。




何か送れるようなものはないかと、跳ね回る魚達を見渡して、






「ん? どうした、緋勇?」






しゃがんで魚達の隙間を探る龍麻に、醍醐が不思議そうに問いかける。
龍麻はちょっと、と小さく呟いた後、またしばらく魚の隙間を手探りした。

少ししてから、目当てのものを見つけて手に取る。




龍麻が見つけたのは、綺麗に流線型を描いた巻貝だった。




貝の中を覗き込んでみても、生き物がいる様子はない。
土産にする分には、その方が都合が良かった。

沢山の魚達の中に混じっていたのに、貝殻には傷一つ入っていない。






「貝殻か。土産用か?」
「うん。父さんと母さんに送ろうと思って」
「成程。そいつはいいな」






後で、遠野から写真も焼き増しして貰うように頼んで置こう。
遠野の事だから、色んな場面をしっかり収めている筈だ。

きっと、昨日のもみくちゃな様子も。









さて、此方は此方なりに楽しんでいるけれど。

彼女の方はどうしてるだろうと思って、やっぱり退屈そうな顔しか浮かんで来なくて笑ってしまった。






































賑やかな男子生徒達の盛り上がりを、離れた場所で眺める少女が一人。
男女別の日程で、女子に割り振られた調理実習に早々に飽きた蓬莱寺京子だった。




日程表として配られた臨海学校のしおりに、今日は調理実習が入っている事は書いてあった。
しおりを配られて最初にそれを見た時から、今日というこの時間はどうにかしてサボってやろうと考えていたのだが、その思惑はしっかりと葵と小蒔に見抜かれていて、脱出不可能にされてしまった。

此処に来るまでの道すがら、龍麻と話をしていたから、それに紛れて女子グループから離れようとしていたのに。
ホテルを出発する時分から隣には葵がいて、半歩後ろには小蒔がついて歩いた。
他にも周りを囲うようにクラスメイト達が集合しており、其処まで完璧に逃げ道を塞ぐ事はないだろうと思った。


そんな訳で、渋々調理実習の現場までは来た京子であるが―――――逃げ道がなくても、やるしかないと言われても、どうしたってやる気が出ない。




4人ずつのグループに分かれて始まった調理実習。
京子はいつものメンバーである、葵、小蒔、遠野と一緒の班になった。

生きた魚を捌いたり、アワビの中身を切り取ったり、やる事は色々あった。
あったが京子は最初から碌にやる気が出ずにいたので、殆ど参加していない。
葵に時々やってみたらと促されたが、途中から彼女達の手付きを見るのも飽きて、手伝う気などさらさら湧かなかった。


やりたい奴だけやりゃあいい。
京子の心中はそれに限った。


他のグループも積極的な生徒もいれば、任せっきりの生徒もいる。
自分の班は葵も小蒔もやる気になっているから、自分ひとりぐらいは参加しなくたって上手く出来るだろう。
寧ろ自分がいた方が邪魔である事は明確だった。



そんな調子で完全に現場を他三名に任せて、京子は海岸に突き出た岩の上に座って、海を眺めていた。

ぼんやりと退屈を持て余していたら、少し離れた場所から歓声が聞こえた。
何かと思って岩の上に立って遠くを見てみれば、地引き網漁に盛り上がる男子生徒の影があって、








「……行くか」

「駄目よッ」









誰も聞いちゃいないだろうと呟いた言葉に、即行で打ち消す声がかかった。
眉根を顰めて振り返れば、案の定、葵が立っている。






「私達の授業はこっちなんだから」
「…ンな事言ったってなァ、面白くねェんだよ」
「やったら意外と楽しいかもよ? 京子もさ」






やる気がないと言い切る京子に、葵の後ろからひょいっと小蒔が顔を出して言った。

いつもは食べる専門と言った風の小蒔だが、どうやら貝の中身を切り取る作業が楽しくなったらしい。
作業の遅れている他の班の下に行って、割り当てられた個数以上に作業をこなしていた。






「……オレはいい」






ふいっとそっぽを向いて、また遠くで盛り上がっている男子生徒を眺めながら、京子はきっぱりと断った。
が、それでは引き下がらないのが、美里葵である。






「一回だけでいいから。ね、京子ちゃん」
「いらねえ」
「作って持っていったら、緋勇君も喜んでくれるから」
「アイツがンな事期待してる訳ねーだろ」
「だから作るのよ。きっと、びっくりしてくれると思うわ」






葵の手が京子の手を捉まえて、調理場に戻ろうと促す。
京子はそれを振り払いはしなかったが、以前として岩の上から動こうとしなかった。

真面目な葵の事だから、此処で京子が踏ん張っていても押し問答が続くだけだろう。
だが京子の意識は完全に調理実習から外されていて、何を言われても戻る気にはならない。






「お魚を切るだけでいいから」
「やらねえ」
「じゃあ、今アン子ちゃんがお魚焼いてるから、一緒に…」
「アン子がやってんなら、オレはいらねェだろ」
「えっと……それじゃあ……」
「いーらーねーえ。」






京子をどうやって此処から動かそうかと、考え込む葵と。
葵なりの気遣いであると知ってはいながらも、どうしてもやる気にならない京子と。

二人を交互に見て、小蒔は溜息を吐く。


放っておけば良いのに、と言うのが小蒔の胸中である。
一応自分も誘いはしたし、逃亡阻止もしたけれど、無理に授業自体には参加しなくて良いと思うのだ。

葵の性格上、どうしても無視できないのは判るが、京子はいつだってそれを聞こうとしない。
そして京子としては、此処にこうやっているだけでもかなりの譲歩なのだ。
その気になれば葵の注意の届かないところへ行けるのに、未だ此処にいるのだから。




見てるだけでいいから。
それこそ意味ねェだろ。
だから、それで気が向いたら…
向かねェっての。
向くかも知れないでしょ?




繰り返される遣り取りに、小蒔は持ち場に戻る事にする。
此処で自分が何か行っても、恐らくどちらも動こうとしないだろうから。

それより遠野に任せっきりにしてしまっている料理の行方の方が気になった。



―――――と、小蒔が二人に背を向けたところで、









「きゃーッ! 桜井ちゃんッ、美里ちゃーんッ!!」









聞こえた悲鳴に、小蒔だけでなく、京子と葵も振り返る。


グループ毎に分かれた生徒達の手が一様に止まっている。
視線はある一点に向けられて、その方向からはあろう事か黒煙が上がっていた。

黒煙から逃れるように、遠野が転がるように駆けて来る。






「アン子!」
「京子ぉ〜ッ!」






岩から飛び降りて駆け寄る京子に、顔を煤だらけにした遠野が飛びつく。

どうしたの、と葵が聞く前に、小蒔が高い声で叫んだ。








「葵ッ! ボクらの料理、燃えてるッ!」








小蒔が指差す黒煙の出所は、確かに京子達の班が使っていたスペース。

それぞれ好きに散らばった生徒達の中の、一番端。
其処には鉄板で作られた大きい七輪台があり、魚を焼くのに使っていたのだが――――火力が上がりすぎたのか、被せた網を覆うように火が立ち上がっていた。






「ごめん! ホントにごめん、ごめん〜!」
「判った、判ったから先に消化だッ!」






半泣きで謝る遠野を葵に任せて、京子は燃える七輪台に駆け寄る。



小蒔が用意されていた水タンクに手をかけようとしたが、マリアに止められた。
油が燃えている時に水をかけると、返って危険なのだ。

数人の海女が砂をかけて消化しようとしていたが、火の勢いは僅かに弱まるものの、鎮火には至らない。


京子はギリギリまで近付くと、躊躇わずに七輪台を蹴り倒した。

散らばった燃えている木炭や焦げた魚を砂に埋める。
浜辺の乾燥した砂は、市販で売られている消火用の乾燥砂と殆ど同じだ。
これで埋めてしまえば酸素がなくなって炎は消える。




葵に落ち着けられた遠野が近付いて来る頃には、火は殆ど消えて、砂の下が少し燻る程度になっていた。







「皆、大丈夫!?」







火が消えたのを確認して、マリアが生徒達を見渡した。

怪我をした生徒は一人もおらず、遠野も煤に汚れただけで済んだ。
消化に当たった海女も勿論、七輪台を蹴り倒した京子も無事だ。






「遠野さん、怪我はないのね?」
「はい……ごめんなさい……」






マリアの確認の言葉に、遠野は涙の滲んだ目で小さく頷き、頭を下げる。






「皆もごめんね……」
「いいよ、アン子。
誰も怪我してないんだからさ」
「次は気をつければいいのよ。ね?」






繰り返して謝る遠野を、葵と小蒔がまた宥めてやる。

と、無言のままの京子に遠野の視線が向けられた。


京子はこういう時、葵や小蒔のように慰める言葉を口にしない。
それは別に怒っているとか言う訳ではなくて、上手く言える言葉を彼女が見つけられないのだ。
下手に言えば余計に相手を沈ませてしまうので、自ら口を噤んでいるのである。

遠野も浅くはない付き合いで彼女の性格は理解しているが、やはり何も言われずにいると言うのは、それはそれで不安が募るのだ。






「京子………」
「………」






葵と小蒔も京子を見た。

向けられる三対の目線に、京子は小さく唸る。
何か言うべきか、しかし言えるような言葉も浮かばずに、頭をがりがりと掻いて。


結局、京子が出来たのは、遠野の頭を少し乱暴に撫でてやる事だけだった。





それが、不器用ながらに優しい京子の「気にしてない」。







「………京子ぉ〜ッ」
「どわッ」







収まっていた筈の涙がまた溢れて、遠野は泣きながら京子に抱きついた。

勢いを受け止めきれずに、京子は遠野諸共砂浜に倒れた。
遠野がそのまま声を上げて泣き始めたものだから、無理に剥がしてしまう訳にも行かず。





背中に当たる砂がそこそこ熱いという事は、黙っておくとして。













やっぱり地引き網が良かったなと、現状とは全く関係なく思いを馳せるのだった。















V

七輪台を遠慮なく蹴っ飛ばす男らしい京子が書きたかった(そこ!?)。

龍麻は京ちゃんの手作りご飯が食べたいようですが、当面期待は見込めません。
以前書いた[Handmade is glad]の事例は、半分は奇跡みたいなもんです(笑)。